〈6.15民族統一大祝典〉 「自主精神で統一の新局面を」 |
【光州発=李相英記者】14日から17日まで行われた「6.15共同宣言発表6周年記念民族統一大祝典」は、「民主化の聖地」と呼ばれる「光の古都」、全羅南道・光州市で初めて開催され、いつにも増して注目を浴びた。 共同宣言発表以後、「わが民族同士」の理念のもとに発展する北南関係を象徴するかのように、3泊4日間、光州は統一の熱気に包まれ、統一が現在進行型で力強く進んでいることを実感させてくれた。 光の古都、伝統の継承
「5月から統一へ」−5月抗争の精神を継いで民主化闘争が繰り広げられた1980年代に光州から生まれたこのスローガンが、20余年の歳月を経て2006年6月の光州で再びよみがえった。 光州市民は、北側と海外側代表団を熱烈に歓迎した。 市内には代表団を歓迎する横断幕をはじめ各種装飾物が設置され、公共建物だけでなく一般住宅にも統一旗が掲揚されていた。行政と市民、まさに光州市全体が祝典の成功のために傾けた努力を垣間見ることができた。 祝典期間、民間レベルの交流も活発に行われた。北南間の距離は確実に近づいている。
北側の平壌統一音楽団の公演を見たオ・テドゥさん(光州市居住)は、「北の人々を初めて迎えることがとてもうれしい。われらは同胞、統一へと共に進む同伴者だ」と語った。 19世紀末の甲午農民戦争から光州学生運動、麗水軍人暴動、そして1980年5月光州抗争に至るまで光州をはじめとする全羅南道地方は圧制に反対する闘争の中心地であると同時に、民族分断の痛みを歴史的に象徴する地域であった。 6.15行事南側準備チームメンバーのキム・ソンジンさんは、「南でも光州は統一運動の熱気が並外れて高い地域」だと述べながら、祝典が光州で開催されたことは現代史において大きな意味を持つだろうと強調した。
今回、北側代表団の「(望月洞)国立5.18墓地」訪問は最大の関心事だった。 また、金大中前大統領の開幕式特別演説場面は、今祝典の意義を象徴していた。金前大統領は演説で、「望月洞国立墓地の英霊も、自らの犠牲が無駄ではなかったと想いながら今日の集いを祝い、喜ぶだろう」と指摘した。 一方、統一行事に何度も参加してきた北側の代表らも、南側で行われた以前の祝典とは「雰囲気がまったく違う」と感想を述べていた。 当局代表団の金永大団長をはじめ北側の多くの参加者は、印象深かった行事として開幕式と「国立5.18墓地」訪問を挙げた。6.15北側委員会教育分科委員会のキム・ジョンエ委員は、「どしゃ降りの雨の中でも席を立たず、統一を叫ぶ光州市民の姿を見て、統一が本当に近づいていると感じた」と話した。 閉幕式で出会った地元の女性は、「光州祭典で発揮された精神が各所へ広がれば、統一は早く成し遂げられる」と希望に満ちた表情で語った。 「未来」と「過去」の交差 祝典を通じて北南間のきびしい現実も浮き彫りにされた。 南側保守勢力と一部メディアは、6.10万歳デモ80周年記念報告会(10日、平壌)で「ハンナラ党が執権したら6.15共同宣言が白紙化され戦争が起こる」と指摘した6.15民族共同委員会の安京浩北側委員長の発言を問題視して、光州祝典の成果を過小評価し、北南間の和解と団結に冷水を浴びせようとした。 北側代表団は17日の出発に先立ち声明を発表し、南朝鮮の情勢に対する自らの立場を明らかにすることは、北南関係と関連して当然すべきことであり、内政干渉にはあたらないと主張した。 また祝典期間、南側公安当局が一部海外側代表の参加を阻止する事態も起きた。 15日の民族統一大会で演説した安京浩委員長は、共同宣言発表以後6年間に成し遂げられた成果を「めざましくてうれしいこと」だと評価しながらも、現在の北南関係が「統一をめざす過程で形成された過渡的状態の共存関係」であり、「安定的とはいえない初歩的な状態の共存関係」と指摘した。さらに、共存の枠内に留まらず、真に統一を目指す関係にならなければならないと強調した。 民族の統一問題を冷静に振り返る必要性を強調したこの演説に共感を示す代表も多かった。 今は、「和解と統一の未来、対決と分裂の過去が激しくぶつかりあい、戦争と平和が鋭く対立する厳しい歴史の時点」(「内外同胞に送るアピール」)にある。 光州祝典は、北南関係を新たな段階に移す必要性を強調する場でもあった。 (関連記事) [朝鮮新報 2006.6.22] |