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朝鮮半島なんでも初めて

 1900年に京仁線敷設


日本が権利奪取、侵略を本格化

 6月15日の南北共同宣言の第4項目(経済協力を通じて民族経済を均衡的に発展させ、各分野で協力と交流を活性化し信頼を築く)に基づいて、7月末の閣僚級会談で合意した新義州―ソウル間の鉄道(京義線)連結(「ニュースの目」参照)。

 南側では北側に先駆けて、18日に着工式が行われた。金正日総書記も8月、「2個師団、3万5千人の軍人を投入して着工する」と明言しているだけに、着工はそう遅くはないはずだ。

 朝鮮半島で初めて鉄道が敷設されたのは1900年のことで、ソウルと仁川をつなぐ京仁線だった。敷設したのは朝鮮人ではなく、朝鮮半島の支配を狙う帝国主義列強の争いの中で先陣を切った日本だった。

 しかし、朝鮮人も手をこまねいていたのではなく、1899年に米国から鉄道車両の模型を持ち帰るなど、米欧や日本の鉄道敷設の動きに遅れを取らないように、準備は進めていた。

 ところが、中国・清朝との戦争に勝った日本が軍事力を背景に、その動きを横からさらうようにして敷設権を奪取。京仁線に続いて1904年には京釜線(ソウルー釜山)を開通させたのである。

 今回、南北が連結に着手することになった京義線は、ロ日戦争開戦とともに前線への軍事物資輸送を目的として急ぎ建設に着手され、1906年に開通したものである。京義線の開通によって、縦貫鉄道の敷設による朝鮮半島支配を日本は実現したことになる。

 1910年以降、朝鮮総督府の直接管理・経営(鉄道局)のもと、とくに中国東北地方への軍事侵略の本格化とともにますます重要視されることになり、1911年には南満州鉄道との直通運転が開始され、日本の中国侵略の先兵となった満州鉄道の経営下に入った。

 現在、東海道、山陽新幹線の車両に使われている「のぞみ」「ひかり」の名前は当時、日本のかいらい満州国の奉天と釜山を結び日本に至る「大陸連絡特急」の名前であった。過去を清算できない日本である。

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