1世の鼓動−統一への想い (7)

一家が南北、日本に別れて暮らす
神奈川・川崎市の盧(ロ)・ウンさん


バラバラの家族を元通りに
オモニ95歳℃條ヤは限られている

 在日同胞に「生き生きとした老後」をと昨年6月、結成された川崎高麗長寿会。現在、会員数が120人を超えるという同会の会長を務める盧ンテさん(73)は、1947年に渡日して以来、県内の朝鮮学校校長や総聯本部教育部長などを歴任し、半世紀以上を専任活動に費やしてきた。

 盧さんの故郷は慶尚南道昌寧郡。
 アボジが独立運動をしているという理由で、造り酒屋などを営んでいた一家の財産はすべて日本帝国主義に没収された。46年の大邱人民抗争に参加しひどい拷問を受けたアボジは、治療のため日本に渡った。その後、総聯の活動に身を投じ、61年に朝鮮民主主義人民共和国へ帰国。再び故郷の地を踏むことなく、67年に平壌で亡くなっ 
た。

 「統一を見ることなく逝ったアボジに、南北首脳会談のあの光景をみせてあげたかった」

◇              ◇

 オモニとは、47年に渡日して以来会っていない。

 「アボジと私が故郷を去ったあと、残されたオモニと弟妹は『アカの一家』のレッテルを貼られ、大邱に移り住んだ。生活を女手一つで支えたオモニはどんなに大変だったろう」

 今も大邱市に住むオモニは今年、95歳になる。風の便りで安否だけは確認できていたが、2年前からは電話でやり取りをするようになった。

 南北首脳会談直後、オモニから電話がかかってきた。互いに胸が詰まって声にならなかった。

 「今まで、いくら私のやっていることを話しても理解しなかったオモニがこの時、『お前は間違っていなかったようだね』と言ってくれた。祖国と民族のために闘って来たその想いが認められたようで、本当にうれしかった」

◇              ◇

 1世のほとんどがそうであるように、盧さんも生まれ育ったふるさとの山河を今も忘れることはない。

 8月15日に行われる南北離散家族の相互訪問への思いを盧さんは次のように語る。

 「在日同胞の離散家族についても話し合って欲しい。アボジの墓は北にあり、オモニは南で健在だ。また日本で亡くなった親戚もいる。オモニも私も、今日死ぬか明日死ぬか分からない。ばらばらになった家族を元通りにできる時間は限られている」

 盧さんの息子、盧泰碩・川崎朝鮮初中級学校校長(46)は、「アボジの口から『オモニに会いたい』という言葉を1度も聞いたことがない」という。「1日も早く会わせてあげたい」。それがアボジを想う息子の唯一の気持ちだ。

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 盧さんは、40年前に南で亡くなったハラボジの遺言を心に刻んでいる。「再び家族が1つになったら墓を建ててくれ」。碑1つ建っていない仮参所に、亡きアボジの遺骨をオモニとともに持って行きたい。「ハラボジ、遅くなりました」とクンチョルを上げられる日が、遠からず来ることを盧さんは祈っている。(李明花記者)

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