手記/統一へ 私の夢

忘れがたき故郷

高奉淀


 私の故郷は済州島である。風光明媚で、現在は新婚カップルでにぎわいギャンブルの島としても知られている。だが、半世紀前、私の少年時代の島は牧歌的で平和な島であった。

  ところが、太平洋戦争が激化し、島には日本兵があふれ、私自身も徴兵され、まず、徴兵予備訓練所で猛訓練を受けた。

  さんざんしごかれたのもさる事ながら、腹が減ってしょうがない。それで、朝鮮語で「アイゴー、チュッケッタ」などと不満をもらした。それが鬼軍曹に知られ、罰として2日間の絶食を命ぜられた。こうなると限界である。私は「朝鮮人が朝鮮語を使って、何が悪いのか」と反発した途端、「お前は不逞鮮人だ」という怒鳴り声とともに、兵隊靴が私の顔面にとんできた。ほおから鮮血がしたたり落ちた。その痕は今でもくっきり残っている。

  間もなく、日本の敗戦、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、すぐにも帰郷のはずであったが、やがて民族の分断。その悲劇は済州道での4・3人民抗争事件に象徴的に示されている。これでは帰るに帰れず、朝鮮学校の教員となり、5年前に退職した。

 その間、随分苦労をした。民族差別の中、民族の「ハン」(恨)を背負ったまま年を取ったことになる。ただ1つ心の支えは、金日成主席と金正日将軍が指導する祖国の姿であった。そして、祖国統一の一念でがむしゃらとも言える位、今日まで頑張ってきた。

 しかし、寄る年波に望郷の念、抑えがたく、私の願いは末期の水さえやれなかった故郷で眠る父母の墓に詣でることである。

 その日は必ずくる。南北共同宣言で約束された離散家族再会の実現は、忘れ難き故郷への愛の深さを想起させてくれた。
(尼崎市在住・75歳)

TOP記事

 

会談の関連記事