手記/統一へ 私の夢

心に刻まれた1枚の写真

金貞※(※=女偏に華)


   あれはいつのことだったろうか。

   学生時代、遠方の寄宿舎で生活していた私は休みになると自宅に戻り、父と話すのを楽しみにしていた。

 居間に父と二人でいた時、父が本棚の引き出しから1枚の写真を取り出し私の前に置いた。小さな丘のような所に30〜40人の老若男女が一緒に写っていた写真だった。

   何かの集まりだったのかなあとのぞいてみると真ん中には祭祀(チェサ)の時の光景がそのままあった。大きなパプサン(食卓)に肉、魚、もち、果物など何段かに盛ってあり、その両脇にある者は木陰に立ちながら、ある者は隣の人と腕を組んだり、確か子供を抱えて写っていた人もいたように思う。

   なぜか1人の女性に目が釘づけになった。チマ・チョゴリを端整に着こなし、髪の毛を後にきれいにまとめさりげなく座っていた。頭髪を左右に分けたカリマがとても印象的だった。その女性の顔を見て、思わず言葉が出てしまった。

 「アボジ、この人コモ(おばさん)じゃないの?」

 「なんでわかったんだい?」
 アボジは少しはにかみながら聞いた。

 「だってアボジそっくりだもん」
 私も笑っていた。本当に似ていた。顔の輪郭、まなざし、座っている雰囲気がアボジとだぶって見えた。

 このような光景は、朝鮮では珍しいことではなく、アボジの故郷・済州道でも親類の人たちが、年に何度か先祖の墓の前にこのように集まるそうである。コモニム(おばさん)も実家祭祀のために来ていて一緒の写真に収まったのだろう。

 話を聞いていたコモニムはこの人なんだ、私はその時、その写真を見てつぶやいた。

 今では私も3人のチョカ(甥、姪)からコモと呼ばれている。「コモ、コモ」と言いながら、話かけてくるチョカたちは本当に可愛い。チョカたちと遊びながらも、ふと私のコモのことが思い浮かぶ。

  写真で見るしかなかったコモニム。コモニムが近くにいたら私もやはり甘えていたに違いない。
  コモニムの手をとり故郷の小道を歩きながら、きれいな花をみつけ、笑っていたかも知れない。
  済州道の青い空、澄んだ海を見ながら、世間話に花を咲かせていたかもしれない。
  誰にも言えなかった思いもコモにはそっと打ち明けていたかもしれない。

   遠い昔の記憶を手繰り寄せながら、何度も同じことを思い浮かべてみる。しかし、いつもむなしさだけが残ってしまうのが常であった。そこには、あまりにもつらい現実があるのである。4年前、父が亡くなった時故郷から電話があった。その電話口の側でコモニムは声を殺しながら泣いていたという。

 弟が亡くなった悲しみは言うまでもないが、せめてもう1度会いたかったのだと思う。でも、今、時代は大きなうねりに洗われている。みんなの念願がそのような力になり、流れ出したのか、確かに時代は変わろうとしている。

 父とはだいぶ年が離れているコモニムは、少し耳が遠くなっているものの卒寿(90歳)を迎えるという。

   コモニムに会いたい、コモニムと一緒にあの写真に写っていた丘に上り、先祖代々の墓にひざまずき、クンチョル(朝鮮式のおじぎ)をしよう。そして、コモの手をつかみ、肩を並べあの場所で写真を撮りたい。思いは募るばかりである。

◇                 ◇

 その日まであの1枚の写真を大事にしまっておこうと思う。私自身の心のアルバムに。(旅行会社勤務) 全民族の喜びの中で行われた南北首脳の出会いと統一をめざす共同宣言。朝鮮民族の統一への夢は膨らむばかりです。

  そこで、「女性・家庭欄」では、「統一へ 私の夢」と題する手記を募集します。家族で話し合ってること、将来の夢、子供の未来などあなたの手記をお寄せ下さい。長さは800字ほど。

送り先はFAX=03・3268・8583。朝鮮新報「女性・家庭欄」へ。

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