ソクタム―ことわざ辞典

太鼓がどんどん鳴りさえすれば、
巫女の祈祷だと思い込む


 「太鼓がどんどん鳴りさえすれば、巫女の祈祷だと思い込む」は、早合点して軽挙妄動することのたとえである。



 昔、ソウルに住むある両班に1人の娘がいた。家柄もよく裕福であり、娘の器量も人並以上にすぐれているので、立派な娘婿を迎えることは容易なことであったが、ただ、その両班は異人(神異な人)以外の婿を迎え入れる気持ちはまったくなかった。

 ある夏の夕方、舎廊(サラン、客間)の前で両班が腰をおろしていると、1人の若者がきてこう言うのであった。「おやおや、今晩はきっと大雨が降るにちがいないぞ」。しかしその時、空にはいってんの雲さえなく、快晴であった。

 ところが不思議なことに、夜になると雷鳴が聞こえ、稲光(いなびかり)がして、大雨があたかも地に水を注ぐような勢いで降り出してきた。両班は内心、「しめた!いい時に異人を得たわい。この若者を婿にすれば、近い将来、功名はもちろん、財宝も得られるにちがいない」と、思い込んだ。

 そして、両班は偽りの涙を流しながら、若者に娘と結婚するよう強引にせまった。当初、結婚の意思すら無かった若者は、両班の強い願い出を断り切れず、ついに「はい」と承諾してしまった。

 それから、間もなくして結婚式が行われ、両班は婿になった若者にこう質問した。「お前はどうして未来のことがわかるのか。教えてくれ」。

 すると若者は、「いいえ、私は未来のことなんか、いっこうに知りません」と素直に答えた。

 また、両班が執ように「未来のことなど教えてくれなくてもよいが、私が後日、役人になれるかどうか、それだけでも知らせてくれないか」と言うと、若者は「そのようなことを予知する人が、どこにいるのでしょうか」と、はっきりと答えた。

 両班は腹立たしさを抑えながら、「じゃ、おまえは、このあいだ大雨が降ることを、どうして予知できたのか」と、きびしく問いただした。

 すると、若者はうすら笑いをうかべながら、「ああ、それで私に結婚をすすめたのですね。それは残念でした。私は疥癬(かいせん)にかかっているので、雨が降りそうになると、かゆくてたまらなくなるのです。そのかゆさが兆しとなって、雨の降ることを予知できたのです」と言った。

 両班は、口をあんぐり、目をきょろきょろさせながら、一語も発せず、大きくため息ばかりついていた、という。

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