1世の鼓動−統一への想い (2)

南北に家族・親類/福岡の周時在・全香連夫婦(下)


生きているうちに会いたい
姉弟との再会に希望の光


 「日本から以北に渡った弟2人に会える日も、そう遠くはないでしょうね。生きているうちに会いたい」

 南北共同宣言発表直後、福岡市に住む全香連さん(70)宅に、ソウルに住む全さんの姉から、こんな電話があった。

 全さんは慶尚南道生まれの4人姉弟。祖国解放(1945年8月15日)直後、結婚していた姉は夫と共に、日本から南に帰った。2人の弟は62年、北に帰国した。解放直後に姉が南に帰って以来、姉と北にいる弟が直接会話を交わしたことはない。だが、日本に住む全さんを仲介して、それぞれの消息は伝えあってきた。

 「南にいる姉からはその後、2度も電話がありました。電話越しに聞こえる涙声を耳にするたびに、私も胸が詰まりました。血のつながった姉弟であるにもかかわらず、解放後55年もの間、顔を会わせることができないなんて、これは分断の悲劇としか言い様がありません。しかし分断史上初めて、南北の首脳が会い共同宣言を発表したことによって、祖国の統一はもう夢でなく現実のこととして進んでいるのだということを実感しました。統一行きの急行列車はすでに走り出しているんです。私たち姉弟の再会にも、明るい希望の光が見えはじめました」

 解放55年を迎える8月15日、南北それぞれ100人の離散家族・親族訪問団がソウルと平壌を相互訪問する。朝鮮戦争(50〜53年)時、北と南に生き別れになった離散家族が大量に発生した経緯から、彼らの再会がまず実現しそうだが、全さんのようなケースの再会がどのように解決されるかは不透明だ。

◇          ◇

 全さんはこれまで4回北を訪れ、弟たちと会った。その後も手紙の交換を通じて、連絡を取り合っている。ソウルにいる姉とは、姉が89年に訪日した際、44年ぶりに会った。それ以来、姉からは月に1度は電話がかかってくるという。

 南の肉親が総聯系の同胞と会うことは、総聯を「反国家団体」と規定した「国家保安法」が壁となり禁じられている。だが、南北交流協力に関する基本指針(89年)、南北交流協力に関する法律(90年)が施行され、南当局にその旨を申告し、総聯についてなどの講義を受ければ、接触は可能となった。接触後の結果報告は当然、義務づけられている。

 全さんの姉もこうした手順を踏んで、日本にいる妹と再会した。

 全さんの夫、周さんにも、南北双方に家族・親類がいる。北には62年に帰国した弟2人がおり、これまで4回、現地で会った。しかし、南の親類(父の姉妹)には機会あるたびに手紙を送っているものの、いまだに消息不明で、生死の安否すら分からない。

 周さんと全さんの願いは1つ。「南北共同宣言が履行され、生きてるうちに、家族が一緒に血肉の情を交わすこと」だ。 (羅基哲記者)

TOP記事

 

会談の関連記事