朝鮮人道支援国際NGO会議
ーパネリストの発言からー
回復への新たな段階に ディラワール・アリ・カーン(ユニセフ朝鮮現地代表) 1995〜98年、度重なる自然災害や経済状況の悪化によって、朝鮮の食糧、保健・衛生などの状況は悪化の一途をたどった。 しかし99年からは改善の兆しが見えており、回復への新たな段階に入ったと言える。食糧不足も若干改善された。薬品の一部や子供用の栄養強化ビスケットを地元で生産できるようになり、すべての子供がはしか、ポリオの予防注射を受けられるようになった。安心して飲める飲料水の確保も進んだ。医療に関する知識や技術の向上がはかられた。子供や妊婦の死亡率、栄養失調の子供の数も減った。(1)朝鮮の住民が柔軟性を発揮し解決策を見つけて努力した (2)朝鮮の政府、世界のNGO、国連機関が協力して努力した結果だ。 こんなに短期間で回復の方向へと戻した国は珍しい。が、それはまだ安定的なものではない。継続的な人道支援が必要だ。さらに今後は、人道支援を超えた経済再建への協力が求められる。朝鮮には教育レベルの高い人材が豊富で、科学技術の基礎、工業化の伝統がある。鉱物資源やインフラのベースもある。こうした改善、発展の可能性、余地を生かすためにもいっそうの支援が必要なのだ。 研修など農業開発支援も 97年から朝鮮支援を始め、これまで朝鮮各地に200万トン以上の食糧を届けた。それらの多くは農村地帯で堤防や農業施設の復旧、改善に従事する労働者に提供された。 さらに2000年3月からは新たな農業支援プログラムを開始した。リンゴの木1万本、種芋500トンを贈り、オレゴン州農業局の専門家2人を朝鮮に派遣し、朝鮮から5人をオレゴン州に招待して研修を行う。8月にも実施する予定だ。またモデル農場を2つ作る計画もある。 一方、米政府が冷戦構造から脱却して対朝鮮経済制裁をやめ、自然災害からの回復を助けるよう各方面に働きかけるなど、政策提案的な活動も行っている。 95年から朝鮮は開かれた平和的な国になった。南や日本を侵略する気もその力もない。もはや何も謎はないし、すでに脅威ではない。「脅威」は人道支援を行わない理由にはならない。 頭使い、一層の信頼構築を NGOの支援は政府より物量的には少ない。しかし、フレキシブルに動け、現地の人に直接気持ちを伝えられる。以前、日本と国交のなかった時代のカンボジア支援のため現地に6年間住んだ経験から、NGOの活動が普通の人同士の気持ちを通わせ、ひいてはそれが平和の道へつながっていくのだと確信している。 こうした考えから96年8月、ピースボートに乗って江原道に支援米を届けたのをはじめ、微力ながら朝鮮支援活動を行ってきた。私たちのメッセージは、朝鮮の人々に確実に届いている。今後、同じ場所に何度も足を運び、例えば国連機関や海外NGOと協力して特定の農場を支援するなどのピンポイント的な方法でいっそうの信頼を重ねていきたい。海外のNGOの先例から学ぶのはもちろん、今後はとくに地理的に近い韓国のNGOとの協力が重要になるだろう。 全般的に朝鮮支援に消極的な日本で、少ないお金でいかに工夫して支援していくかが今後1〜2年の課題だ。ODAの一部を担ったり、政府支援を手伝うなどのアイデアはある。そのためにも政府・外務省とNGOの対話の場、情報交換の場を持つ必要がある。 |