この人と語る



メディアの北朝鮮叩き≠ヘ構造的無知の裏返し

一橋大学教授  鵜飼哲さん


実は日本の孤立化が進行していた

 ――南北朝鮮の首脳の出会いをどう見ましたか。

 ●金正日総書記と金大中大統領の歴史的な出会いを驚きと感動を持って受けとめました。しかし、日本のメディアの報道の仕方、とくに朝鮮問題の専門家と呼ばれる人たちの受け止め方には非常なギャップを感じました。

 彼らは過去のできごとから今を推測するだけだ。しかし、過去の経過をいくら洗い出しても、今、目前では彼らの想像をはるかに越えたことが起きている。いわゆる「専門家」たちはその認識のズレに気づいていない。現在進行形で繰り広げられている光景の意味をとらえられなかった。「これまで北朝鮮はこうだったから、こうだろう」という空疎な言葉に違和感を持ったのは私だけではないはず。改めて、日本人の、日本の知識人の朝鮮問題への無理解と無知をさらけ出すものでした。

 ヨーロッパにおける冷戦の終えん後、アジアで起こった事態について言えば、日本でも金丸・田辺訪朝団のような北朝鮮との関係改善の試みがありました。自民党政権の崩壊後、細川政権が出てきた時、侵略戦争と植民地支配の責任を認める発言がなされたこともありました。限定的であるが「改悛の世界化」に乗っていこうとする動きがあった。しかし、それに危機感を抱いた人たちによって、動きが押しつぶされ、現在の自公保までの流れに至ったのです。

 今回の南北首脳の出会い、和解への動きから、日本のこの10年を照らし返してみるべきだと思います。

 ――なぜ日本は、90年の金丸・田辺訪朝団の成果を生かして、国交正常化の道に進めなかったのでしょうか。

 ●自民党の中にも北朝鮮との関係改善を進めないと、長期的には日本の国益にはならないと判断する政治家がいました。例えば、金丸氏と言えば、ダーティーな体質を持つ政治家だ。いくら何でも彼が突然、体質改善をした訳ではないでしょう。北朝鮮に対して好意的だった背景には、彼なりの政治家としての計算があったはずです。21世紀には朝鮮半島の和解、統一は実現されるだろうという展望の中で、北朝鮮と国交がないのはマズイという政治的なセンスを持っていました。

 細川首相の戦争責任発言についても、突然心を入れ替えて、罪責感にとらわれた訳ではない。やはり、必要だからという判断があって、最低限のあの発言になったのだが、それさえ嫌だという勢力によって否定された。

 その後、自由主義史観とか、「新しい歴史教科書をつくる会」とかの動きが出てきて、日本のナショナリズムの動きが活発になりました。そして、「テポドン発射」の報道で北朝鮮は、仮想敵国として、世論の強い攻撃を受ける事態になったのです。

 日本の世論は「北朝鮮はおかしな国」というイメージを拡大再生産させていった。金丸・田辺訪朝のリアリズムを押し流していった力こそまさに非合理的なナショナリズムの力だったのです。

 90年代後半の米朝関係の変化、とりわけ金大中政権が誕生して以来の南北関係の変化が、まさに目前で起きているのに、日本には見えない、という深刻な病にかかってしまった。彼らは中国や北朝鮮を政治レベルでの障害と考えています。「冷戦の勝者」である日本が、経済的、政治的な利益を受けられないといういらだちが、ネオナショナリズムのバネになったのです。そして、今日本は「普通の国」の扉から入ったつもりが「神の国」に迷い込んでいるのです。

 冷戦は、米国とソ連の間の体制間矛盾であって、本来民族対立ではない。しかし、日本にとってはそれだけではなかった。冷戦は「反共十字軍」であり、戦前までさかのぼれば、治安維持法まで含めた反共全体主義が国際的に再評価される時代が来るのではないか、という幻想を持ったのです。そして、第2次世界大戦で敗れた、敗戦国になった補償を冷戦で「勝者」の側に回ることによって、心理的に埋め合わせをしようとしたのです。彼らの意識の中では、当然、中国や北朝鮮は敗者でなければならない。ところが、東アジアでは冷戦の終えんはそういう事態にはなりませんでした。

 敗者のはずの中国が「21世紀は中国の時代」などと言われる。また、冷戦の同盟国だったはずの「韓国」や台湾、タイ、インドネシア、フィリピンからも日本の戦争責任を改めて問う声が高まっています。また、北朝鮮からも植民地支配と戦争責任を追及する声が日増しに強まっている。この落差に日本のぜい弱な戦後民主主義の思想は耐えられなくなった。95年以降の右傾化時代、その果ての国旗・国歌の法制化、「神の国」発言などの一連の動きの背景にはそれがあると思います。

 今度の金大中大統領の平壌訪問には、金大統領がその信者であるキリスト教の和解の精神のようなものが働いているのではないでしょうか。それが日本型冷戦思想体系という、戦前にまでさかのぼる反共全体主義と根本的に異なる。日本は北朝鮮を冷戦の敗者にしようとしたが、北朝鮮は敗者にならなかった。そして、南北朝鮮は、和解への準備をした。それが日本の保守派には全く見えない。北朝鮮が孤立していると日本のメディアが毎日言っていた裏で、実は日本の孤立化が進行していたのは悲しい皮肉というほかありません。

 ――朝鮮半島の事態は、日本に対してかなりドラスティックな政策転換を迫っているように思えます。

 ●隣国の新世紀への明るい躍動や希望が今回の首脳会談で示されたが、逆に日本では次の時代が見えてきません。日本は脱亜入欧という明治以来の発想を脱却し、朝鮮半島の人々や在日朝鮮人と真に共生していくことが大切だと思います。日本の北朝鮮に対する無知は深刻です。メディアの北朝鮮バッシングなどは構造的な無知の裏返しです。あえて言うなら公平で、正確な情報を持たないと、日本の国益を利することにもならない。

 新しい世代に隣国への歪んだ偏見をうえつけ、過去の恥ずべき歴史を否認すれば、日本は国際社会ではもはや生きていけないということを、今回の首脳会談は鮮やかに教えてくれました。

【素顔にふれて】
豊かな国際性と学識の深さと

 1984年から89年までの4年半の間、フランスに留学していた。ここで「ナチスドイツによるユダヤ人ホロコーストはなかった」、「ガス室はなかった」という歴史修正主義という想像以上に深刻な現象に出合ったと言う。

 そこでの体験と研究が、90年代に台頭した日本のナショナリズムの病根をえぐりだす頼もしい武器となっている。

 例えば「教科書が教えない歴史」(藤岡信勝著)のようなデタラメな本が数十万部売れるということをどう見るか。鵜飼さんは、次のようなフロイトの言葉を思い出す。

 「民族の精神病は議論に耳を貸しません。ドイツ人は前の戦争の間にそのことを学ぶべきだったのですが、もう彼らには無理のようです。もう彼らのことは放っておきましょう。せめてわれわれユダヤ人だけでもこういう病気にかからないようにしましょう」

 他民族をののしり、排斥する極右勢力の台頭は、日本人がフロイトが語る「民族の精神病」スレスレのところに来ていることを意味するのではないか、と深く危惧する。

 鵜飼さんはパリ滞在中、ポンピドゥー・センターで共和国映画を見る機会があり、「韓国」の留学生たちの共和国に対する関心の高さを知った。いま、大学院の担当ゼミには、南からの留学生や在日の学生たちもいる。

 「優秀な学生ばかりです。将来、立派な研究者になれるよう条件を整備するお手伝いができれば」と微笑む。

 豊かな国際性と学識の深さと。新たな東アジア情勢を的確に読む源泉がそこにある。  (朴日粉記者)

【プロフィール】

 うかい・さとし 1955年、東京生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科教授。著書に「償いのアルケオロジー」「抵抗への招待」、共著書に「原理主義とは何か」「<ショアー>の衝撃」、訳書にデリダ「他の岬」(共訳)など多数。

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