取材ノート

「気づく」ための想像力を


 「どうやって取材したのですか? 手話ができるのですか?」

 手話を主なコミュニケーションの手段として生活している聴覚障害者の同胞男性の記事を書いたところ、福祉問題に関心を持っているという読者から問い合わせの電話が来た。

 でも残念ながら私は手話ができない。取材は、相手の方が頼んでくれたボランティアの手話通訳者を介して行われた。この取材は、同胞障害者への年金差別に関する話の内容はもちろんのこと、プロセスからすべて初めての経験ばかりで、学ぶところが多かった。

 誰かに取材をしようと思ったらまず、相手と連絡を取り合う。最近は電子メールの場合もあるが、多くの場合、連絡手段は電話だ。しかし、紹介者が教えてくれたのは電話番号ではなくファックス番号だった。考えてみれば当然のことだが、声のみのコミュニケーション手段である電話は、聴覚障害者には「役立たず」の代物なのだ。

 取材した数日後、彼と、彼の友人の聴覚障害者の方と3人で会う機会があった。2人は手話で楽しそうに話していた。手話のできない私とは筆談だ。手話で話す2人がとてもうらやましく思えた。そこでは、健聴者の私が「マイノリティ(少数者)」だった。

 聴覚に限らず、障害を持つ人たちは健常者が「マジョリティ(多数派)」であるこの社会のなかでつねにこうした感覚を抱かされているはずだ(もちろん、私の感じたものの比ではないだろうが)。だが、健常者がそのことに気づくような場、機会は驚くほど少ない。

 でも機会は作れるし、もし機会がなくても、人は想像力を働かせることができる。「気づく」ための想像力を育み、研ぎ澄ませること。福祉に限らず、すべての問題を解く鍵がここにあるのではないだろうか。    (韓東賢記者) 

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