南朝鮮文学に描かれている米国(3)―卞宰洙

1960年の4.19人民抗争以後、民族自主意識の高揚


お前らはいつかは手ぶらで帰るしかない・・・          

 南朝鮮では、CIAの情報操作に惑わされて、朝鮮戦争を「北の侵略」などと誤認したこともあって民族虚無主義、実存主義的傾向が文学界に浸透し、がさつな「反共文学」が一時流行した。しかし、1960年4.19人民抗争を経て民族自主の意識が高揚し、米軍の非道を反米感情を持って告発する作品が書かれるようになった。宋炳洙の中編「ソーリー金」、林秀逸の中編「白衣の手記」、河瑾燦の短編「王陵と駐屯軍」「赤い丘」、ペク・インムンの中編「静かな河」、南廷賢の短編「自首民」と中編「糞地」などがその主な作品である。

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 参与文学論と民族文学創造の可能性が論じられるようになった60年代の反米的傾向の文学で見逃すことのできないのは、鄭孔采の長詩「米八軍のジープ」と、申東曄の長編叙事詩「錦江」であろう。

 1934年生まれの詩人鄭孔采は、全31章で構成される1550余行に及ぶ「米8軍のジープ」を「現代文学」に発表して注目された。この長詩は「韓国」全土を威圧的に疾駆する米軍のジープを占領軍の象徴として、その傍若無人ぶりを描出し、米帝国主義の侵略的本性を暴露しつつ詩の最終連をこう結んでいる。

 黄色い資産/米八軍のジープより大きな/喬木林で/この地 わが祖国にぎっしりと/自由の原っぱをつくろう/森林をつくろう

 詩人は「米八軍のジープより大きな」「喬木林」という詩語で民族の自主意識を鮮明にし「自由の原っぱをつくろう」と民族独立の展望を示唆している。

 私たちはためらいなく外勢を/誇りのように迎え入れる/8.15以後 私たちの地は/足の踏み場もない程に/みみずのような文字で一杯だ(「錦江」第13章部分)

 申東曄は4.19人民抗争をモメントとしていち早く参与詩の創造を提唱し、「韓国」詩史に大きな功績を成しながらもわずか37歳で急逝した詩人である。「錦江」は、詩行の数が4678行という長大な叙事詩で、甲午農民戦争を現代の視点でとらえて形象化し、透徹した反帝民族自主意識につらぬかれた傑作である。「みみずのような文字…」という詩句を吟味すれば、米帝国主義への蔑視と憎しみを読みとることができよう。

 57年に27歳でデビューした南廷賢の中編「糞地」は主人公の洪万寿が、米兵に暴力で犯されて無残に死んだ母に話しかけるという対話形式で書かれ、米軍基地の現状と米軍の非人間性、妹までも辱しめられた蛮行に対する主人公の復讐などのシチュエーションがみごとに積み重ねられ、末尾は朝鮮の美しさが語られている。この作品は「反共法」に問われたが、裁判における検事の論告に「反米感情を造成、激化させ、反米思想を鼓吹して韓米紐帯を離間することを表現した」という一節があるように、強烈な反米意識をストレートに噴出させており、反米的傾向文学の一頂点をなしている。

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 70年代に至ると全泰壱青年の焼身自殺を契機に反朴正煕・民主化闘争が活発になり、労働運動も高揚した。こうした社会情勢を背景にして本格的な反米文学の傑作が書かれるようになった。李文求の中編「海壁」、辛相雄の中編「忿怒の日記」、千勝世の短編「黄狗の悲鳴」などが代表的で、これらの作品はいずれも、朝鮮民族を劣等民族と見くだす米軍の横暴、米軍基地周辺の住民の踏みにじられた生活がリアルにえぐり出されている。

 80年の春、ムック「実践文学」の創刊号に民族的良心の抵抗詩人舞丹・高銀が反米のモチーフにつらぬかれた全87行の「壁詩」を発表したが、これは光州人民蜂起を予言したような作品とみることができる。

 太平洋よ玄海灘よ 儀杖隊を閲兵する貪欲な外勢よ/お前らはいつかは手ぶらで帰るしかない いや 降伏しなければならないだろう(中略)おれたちがすべての虚偽と無頼漢を追い出した場所に/苦しみの詩よ苦しみで読む詩よ 真理のすすり泣きよ/……民衆の詩になろう    (ピョン・ジェス、文芸評論家)                       

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