南朝鮮文学に描かれている米国(2)―卞宰洙
解放後ー親日家と米軍政の横暴を辛らつに風刺
南朝鮮文学における反米的潮流は、祖国解放の直後からすでに形成されはじめた。8.15解放後の9月に仁川に上陸した米軍は、ホッジ司令官の名において38度線以南に軍政を実施すると「布告第1号」を発表し、日本帝国主義の統治機関であった「総督府」を「米軍政庁」と改称して南朝鮮を支配下においた。そして、全域に人民自らの意志で組織された人民委員会を強制解散させ、46年10月には植民地化政策に反対してたたかわれたソウル・大邱・釜山を中心とする300万の人民蜂起(10月人民抗争)を残忍に弾圧し、その帝国主義的本質をさらけだした。 こうした解放直後の情勢に、まず南の若い詩人たちが敏感に反応し「前衛詩人グループ」が結成された。ここには「ポプラに」「少年の死」の朴山雲、「角」「裏路で」の李秉哲、「母よ」の金尚勲(これら3人の詩人は後に共和国に渡って活躍した)、そして「三八線以南」「祖国と共に」などの絶唱を発表し、「誰のために高鳴る我らの若さぞ」を大衆の前で朗読した兪鎮五たちが参加した。 日本帝国主義のまいた種大事に育て それに仕えた輩が/今また姿だけを変えた/新しい帝国主義の客人の前に/頭を下げて/命と財産と名誉の喜捨を乞うのだ(中略) この強烈な反米反独裁の作品は、「軍政ひぼう」に問われ、兪鎮五は捕えられパルチザンに参加したとして死刑にされた。当時の検閲の厳しさから「新しい帝国主義者」は伏字にされていた。「前衛詩人グループ」の他にも「夜明けの道」の崔石斗、「さらば友よ」の呉章煥、「港で」の李庸岳たちが硬質の抵抗詩を書いた。 解放前の30年代には良心的な作家として、植民地下の農村の現実を批判的に描きながらも、41年に「内鮮一体論」に屈服した蔡万植が、そのことを恥じてか46年には一転して2つの反米的小説を発表した。46年に雑誌「太陽」に掲載された「ミスター房」と小説集「解放文学選」に収められた「田んぼの話」がそれである。「ミスター房」は、日帝時代におぼえたおぼつかない英語で米軍の少尉の通訳となった初老の房三福が主人公である。彼は、祖国解放の歓喜とは無縁で、主人の少尉にへつらい、それなりの日々を安逸に暮らすことだけを考えていた。ところが酒に酔って主人の顔に口をゆすいだ水を吐きかけて、侮辱とののしりを浴びせかけられくびになる。 この作品では、植民地時代に私欲を満たし権勢をほしいままにした日帝走狗の野望と8.15の米占領軍の横暴が描かれ、民族の魂を失くした成り上がり者の ミスター房 の悲惨が痛烈に風刺されており、解放直後の南朝鮮の現実の一断面が鋭く切りとられている。 「田んぼの話」は、主人公韓生員が、かつて父が 血と汗 の結晶としてやっと手に入れた田んぼを手放さなくてはならなかった経緯をストーリーとしている。李朝末期から植民地時代にかけて、質朴な韓生員がかん計にはまって没落していく過程を描きつつも、作者の筆致は解放軍を詐称するアメリカの軍政が日帝以上に悪らつであることを淡々とえぐり出し、反米意識を色濃く宿している。 蔡万植のこの2編のほかにも、過去の親日分子と、米軍政にとり入って私利私欲を求める崇米分子の2人の人物の利害関係を軸にして米国の植民地政策が日帝のそれに比べて勝るとも劣らないことを浮き彫りにした。 キム・イルアンの短編「頬」(47年)、共和国への侵攻を画策するアメリカの侵略的本性を民族自主のモチーフで描写した女流作家崔貞二の「風流にとらわれる村」(47年)の2編も反米的潮流をなす文学としてすぐれている。(ピョン・ジェス・文芸評論家) ※「近代朝鮮の開拓者」は、21日号まで休みます。 |