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2.8独立宣言とは?


東京の在日朝鮮人留学生らが起草/3.1運動に影響

  2.8独立宣言とは、1919年2月8日、東京の在日朝鮮人留学生たちによってなされた朝鮮独立宣言のことです。

 宣言書には、日本の朝鮮植民地支配の不当性と民族自決の要求が掲げられており、もし日本がこの要求に応じないならば、わが民族は日本に対して永遠の血戦を宣言するという堅い決意が表明されていました。

 言論活動に限定されていた留学生運動が直接的な独立運動へと発展した契機は、米大統領ウィルソンの民族自決14ヵ条原則の発表と、これに刺激を受けた在米同胞代表が独立を提訴するためパリ平和会議に派遣されることになったという記事でした。

 これに素早く反応した学生たちは19年1月6日、新年雄弁大会の場で、今が独立運動を進める適当な時機であると判断して「朝鮮青年独立団」を結成、独立宣言大会の準備にかかります。独立宣言書を早稲田大学学生だった李光洙が起草し、独立団の委員であった宋継白が宣言書を携えて朝鮮本土に伝え、運動資金を集めてきます。この資金を使って「独立宣言書」と「民族大会召集請願書」が印刷されます。

 2月8日午前、独立団の委員たちはこれらの印刷物を国会議員、各大臣、各国大使、公使に郵送します。午後には東京神田のYMCA会館においておよそ400人の男女留学生が集まり、大会が開催されました。開催が宣言され学生たちの演説の後、白寛洙が独立宣言書を感動のあまり声を震わせながら読み上げました。すると参加者は激しい興奮に包まれ、会場には拍手と「大韓独立万歳」の喚声が鳴り響きました。しかしこの大会は、その場を監視していた警官の弾圧にあい、多くの学生が検挙され幕を閉じます。

 2・8独立宣言は本国の学生や民衆に大きな刺激を与え、その直後に起こった3・1独立運動に大きな影響を及ぼしました。 (金大遠・研究家)

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