私の会った人

道浦母都子さん


 現在最も注目される歌人、エッセイストの1人。その歌には父のことが数多く詠まれている。

 「お前たちにわかるものかという時代父よ知りたきその青春を」 「父は戦前、日本の植民地下にあった朝鮮半島に渡り、給料が内地より何倍も高かった『日本チッソ』に就職して、後に総督府に勤めていた母とソウルで結婚しました」

 敗戦の頃は北の興南にいた。混乱の中、幼い2歳の娘と弟妹を連れて南の仁川まで歩いて引き揚げた。

 「その時の話は小さい頃からよく聞かされた。河のほとりで休んでいると、朝鮮の青年がやってきて昼間は危ないからと家にかくまってくれたうえに、食物まで分けてくれたこと。夜、子供たちをおぶって河を渡してくれたこと。……つい昨日まで、日本人が朝鮮でしていたことを考えると何をされても仕方のないことなのに。父はその時受けた恩義を決して忘れてはならないといつも話していた」

 誰とでも仲良く、差別は絶対にいけないという父、朝鮮で味わったキムチが忘れられずいつも自家製を絶やさなかった母。

 「両親の朝鮮民族への親しみを心に感じて大きくなった。後に社会に関心を向けていく下地にもなったと思う」

 その体験から「親が子供に正しい歴史を伝えていく大切さ」を説く。「戦争中、日本が何をやったのか、その悲惨さの前には言葉がない、胸がつまる…。でも隠してはいけない。それを含めて現在の私たちなのだから」。 (粉) 

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