90年代の詩
南朝鮮文学に描かれている米国(1)−卞宰洙
異国の兵隊に踏みにじられ腐りはてたわら屑
ー米軍の良民虐殺の悲惨をテーマにー
今年は、朝鮮戦争勃発後50年に当る。この戦争中に米軍が犯した非人道的な虐殺行為は、共和国においてはもちろん、南朝鮮においても枚挙にいとまがない。昨年9月にAP通信が明らかにした忠清北道永同郡老斤里での良民虐殺はその氷山の一角にすぎないし、また、今月の16日に京畿道華城郡雨汀面梅香里で米軍機が劣化ウラン弾を投下した事件にみるように、米占領軍の暴挙は今日でも後をたたない。そのような状況下で、南の文学者の代表的な作品を通して、反米文学の傾向性を4回にわたって追ってみることにした。
(編集部) 1990年の丁度なかばに南朝鮮の創作と批評社から刊行された金南柱の遺稿詩集「私と共にすべてのうたが消えるなら」に次のような詩行がみえる。
40年以上も でたらめな他人の国だ 異国の兵隊に踏みにじられ腐りはてたわら屑 それがこの国の身体だ くそ蝿 だに 蛭 鼠 わらじ虫 蚊 南京虫 蚤…… 血を吸う虫たちに血まみれにされた修羅場が この国の寝床だ 汚辱にまみれた腐ったどぶが この国の川だ
大邱市中央通り大邱百貨店前 UR農産物開放反対デモ隊 ピケットに はっと、ひらめいて 詩が浮んだ
蝿は鳥だ
2編の詩をあげて90年代の反米詩の傾向をかい間見たのだが、こうした詩的傾向は地下水のように南朝鮮現代史の流れの1つとなって絶えることがない。
川辺から吹き寄せる 風の音に身がちぢこまる。 迫り来る不吉な運命を 予告するかのように どこかで カラスの無気味な鳴き声が聞こえる。
チェッと舌うちをして 鳴き声のする 野辺の向うを眺める。
そびえ立ち 川は静かに流れていた。
異様な物音がはぜかえり 数万の火玉が ふりそそぐ
見たこともない飛行機が襲いかかった。
母は大地をたたいて泣き叫ぶ。
爆撃で死んだと 声を限りに悲しみ叫ぶ。 異様な火薬の匂いが 充満した村には誰かが誰かを
南朝鮮文学の大きな特徴の1つは、政治的、社会的現象に即応したテーマを選び出して作品が書かれているというところにある。解放直後から済州島4.3事件、朝鮮戦争を経て4.19、光州人民蜂起、6月人民抗争という現代史の大きな流れの中で、この地には反米をテーマとする文学が、現在に至るまで脈々と息づいているのである。 (ピョン・ジェス・文芸評論家) |