知っていますかー朝鮮半島 なんでもはじめて

豊  作


「農者天下之大本」豊作祈る
農旗立て、楽器叩き家回る

 農楽は農楽遊びともいい、農民たちが「農者天下之大本」(農業は天下の大本)と書いた農旗を先頭に、朝鮮半島伝来の楽器である杖鼓(チャンゴ)、鉦(チン)、太鼓(テゴ)、銅鑼(トンラ)、笛(ピリ)などを叩きながら、跳んだり踊ったりして農耕の豊作を祈願することに目的があったという。

 しかし1年中、し意的に行われたのではなく、農作業の節目節目の決められた時期に行われた。それは、旧暦1月15日(豊作を祈る行事)、5月の播種時と6月の除草時、7月の百日節、10月の秋の収穫時などの時期である。

 1月は上述したまま、その年の豊作を祈って、5、6月は作業の能率が高まるように鼓舞、激励する意味で、7月は農民たちの慰労のために、そして10月は収穫を祝ってと、時季ごとに意味合いが違った。

 では、行事はどのように行われたのか。1月を例に見ると、農楽隊が部落の各家を回り、家の主人から「告祀盤」(コサパン)をもらった後、ご馳走を頂いて次の家に向かう。

 コサパンというのは、祭祀の時に準備される料理をいう。大門の中に大きな膳を置き、その上にコメを1升〜1斗供え、祈りをしてもらう人の年齢と同じ数の銅銭と銀貨を置く。その次に食器にコメを山盛りにしてサジを立て、白糸を1束供える。この行事をナジョンと呼ぶ。貧しい家ではたいそうな準備はできないので、白米1升と少々のおかずを置く。

 農楽隊の代表がこのナジョンを次々ともらって移動し、こうして得た金品は蓄えて、農楽に必要な楽器や用具の購入、共同募金などに充てた。

 農楽隊の構成は、一般的には小鉦2、杖鼓2、鉦1、太鼓2、さらに小鼓5〜8、士大夫役1、猟師役1を加え、農旗手を含めると20人内外になった。しかし、地域や伝承の違いによって構成や衣装、音楽はそれぞれ異なっていた。

 中国の「隋書」や「三国史」の「東夷伝」に記述が出てくることから、すでに2〜3世紀には行われていたようである。

TOP記事

女性・家庭 社  会 経済・経営