「日本の朝鮮への植民地支配は実に過酷なものでした。いったいどれだけの人が犠牲になったことか。それだけではなく、戦後は『ぼろくず』のように捨てられた」 長年にわたり、日本の戦争責任をアジアの民衆の視点から検証してきた。「日本政府は、過去を清算するというが、半世紀を経て、なお癒えることのない彼らの思いにもっと耳を傾け、手厚い補償をすべきです」
柔和な表情が一瞬かげる。戦後、女性差別が酷かった時代に少女期を過ごした。「女だから、女だからと言われて…。自然に差別や偏見に敏感になった。高校生の頃には、女でなぜ悪いと開き直っていました」
早大卒業後は教員に。なりたての頃、関東大震災の際の朝鮮人虐殺事件を扱ったドキュメントを読んでショックを受けた。「戦争については知っていても、それを被害者の立場でリアルに受け止められなかった。もう一度勉強しようと大学に戻りました」。現在恵泉女学園大教授。
それ以来の朝鮮問題研究者である。入管法反対運動から日朝国交正常化の早期実現を求める運動まで、広く、深く関わった。
「脅迫電話が来る度に在日朝鮮人のことを考えます。チマ・チョゴリの女子学生への暴行事件が示すように他民族排斥の風潮が未だに根強い」
前に見た朝鮮映画「血の海」には侵略のせい惨さが描かれていた。「そこから目をそらさず、過ちを心から詫びることが新しい日朝関係の第一歩でしょう」 (粉) |