それぞれの四季

ネズミもスズメも  李錦玉


 朝鮮のむかし話に――両親もほとほと手をやくわがまま娘がいた。

 ある晩、娘の部屋の隅にネズミが現れて、娘がこぼしたお菓子のかけらを夢中で食べていたが、ふっと姿をかくすと別のネズミの口もとにお菓子のかけらを運んでやっている。ネズミは目が見えない様子で、どうやら母親らしかった。娘はネズミの仕草を見つめていたが「ネズミでさえ親を思いいたわっている。それなのにわたしは…」と、強く胸をうたれ、自らを反省した。それから娘は、という話である。

 このようなネズミの行為はほんとうにあるだろうか。大人が子供に親孝行を諭すための作為ではなかったかという思いがよぎっていた。

 朝の散歩から戻ると、私は興奮するまま一気にしゃべった。それは、コンビニの店先で2羽のスズメが鳴き交わしながら、夢中でパンくずをついばんでいた。心なごむ情景だった。

 この時、物影からネコがとびだして1羽をさらって消えた。少し間を置いて、1羽がいなくなったことに気づいたスズメは動転して、あたりを 
飛びはね、探しまわり、狂ったようにさえずりつづけた。そして、やがてあきらめたように飛び立っていった。

 「全く悪いネコだよ」と、聞き手もスズメも同情することしきりだった。

 2羽のスズメは、兄弟だったのか、友だちだったのか、それとも親子だったのか。ネズミにもスズメにも人間に似た情があるのか。

 わが祖先はこれら生き物への深い洞察と共感をもっていたのであ 
る。 (童話作家)  

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