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強制連行とは?


募集、官斡旋、微用 時期追い3方式で

  強制連行ってなに?

  朝鮮人強制連行とは、日本が侵略戦争を敢行するために公布した国家総動員法に基づき、1939年から実施された労務動員計画と国民動員計画による朝鮮本土からの連行、ついで国民徴用令による日本国内からの労務動員、さらには軍人・軍属・「従軍慰安婦」としての戦時動員、これらすべてを含むものです。

 強制連行は時期を追って3つの方式で行われました。初めの頃は募集方式です。民族的抵抗を恐れた日本は朝鮮に徴用令をそのまま適用できませんでした。募集方式というのは、労務動員計画による計画割当人数の徴発を、炭鉱や土建会社の事業主が、朝鮮総督府の指定した地域において「募集」という名目で行ったものです。太平洋戦争勃発後の42年2月からは連行形態をより強制力の伴った官斡旋(あっせん)方式に変えます。これは労務者の徴発業務を朝鮮総督府が一手に行い、隊組織を組んで労務訓練を施した後に、割当事業所へ供出する方式でした。

 44年9月からは朝鮮人にも徴用令を適用し、法的強制手段をもって、手当たり次第連行していきます。畑仕事をしている者、道を歩いている者などをトラックに強引に乗せ連れ去ったというのはこの時期の話です。

 

 

(宮城県多賀城海軍工しょう突貫工事に連行された同胞が収容されていたタコ部屋)


  どのような場所に連れていかれたの?

  連行先は鉱山、土木建築現場、軍事工場、地下軍需施設のトンネル掘り、戦地での陣地構築現場など最も過酷で危険な場所でした。
 なお軍要員の徴発に際しては41年から朝鮮国内に徴用令が適用されており、日本在住の朝鮮人にも42年から適用されています。朝鮮人軍属は各地の海軍施設や南方戦線に送られ、土木建設や俘虜監視、軍需物資運搬などをさせられました。

 当時の資料によると、連行された同胞数は日本に約150万人、朝鮮国内約450万人、東南アジアに約33万人となっています。              (金大遠、研究家)

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