投    稿

形ではなく心の福祉を/妹尾信孝


 「福祉」という言葉を耳にして久しい。生活や暮らしに定着し、日常語として用いられるこの言葉、とかく、政策や制度の向上、建物、設備の充実など、目に見えるものを充実や向上と解釈されがちである。

 確かに、物や形の充実、向上は、切り離すことのできない要件に相違ないが、物、形で表すことのできない「福祉」もある。むしろ、本来の意味は後者にあると考える。人間関係が稀薄化している昨今、この言葉の持つ真の意味を改めて認識、理解する必要がある。

 本来、福祉は幸福を意味し、それは、自分だけでなく、多くの人の幸福を指している。自分よがりな幸福、また、富や名声に溺れ、物豊かで満ち足りた生活を送ることが幸福ではない。

(2月の朝大大学院福祉講演会)

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 私は、自分の障害を生かし、命の尊さ、家族の絆、自然と人間のつながりなど、幅広い分野から多くの人たちに問い掛けるために啓発活動を行っている。

 生まれつき心臓が悪く、入院生活を送っている友人がいる。2年前、私の活動を新聞で読み、一報を頂いたのが出会いの始まりである。

 最初、病院を訪問した時は、ほとんどベッドに横たわっての会話だった。その友人は、詩を書くことが心の支えだった。詩集を見せてもらったが、どの詩にも輝きがないのが印象的だった。

 以後、友人との文通を続ける中、「健康体である人でも、生きるということは簡単なようで本当は難しい。でも、あなたは40年間も生きている。とても素晴らしいことだと思う。これらかも一生懸命、生きていてほしい」と、生きることの大切さを伝えたくて手紙に託したことがある。

 それが友人の心を動かしたのか、はっきりとは分からないが、詩にも徐々に変化が見え始め、明るさや前向きさを感じられるようになった。

 昨夏、久し振りに病院を訪れたが、明るく楽しそうにしゃべる友人の姿に驚かされた。車椅子に座し、1時間あまりも会話に興じたのである。知人を何人か紹介したことがあるが、その知人とも手紙のやり取りがあり、癒しと励みになっているという。友人の言葉に、生きることへの姿勢、幸福について改めて考えさせられた。

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 ノーマライゼーション(障害者などが地域で普通の生活を営むことを当然とする福祉の基本的考え)が提唱され、人権や福祉に対する考え方も向上しているはずなのに、逆行するかのように、いじめ、暴力、虐待、殺人という悲しい出来事が増えている。命や生、人間の幸福について、もう一度考えてほしい。

 「青い鳥」のモーリス・メーテルリンクは、最大の幸福は自分の家(内)にあると言っている。当たり前で身近な存在、何気ない日々の生活の中に幸福があり、それは自分自身の心にあることに気付くことが、幸福の第一歩であることを忘れてはならない。

 自分を思うように相手を思う、多くの人の幸福を意味する福祉もまた、ここから始まるのである。

 (せお・のぶたか 群馬県立身体障害者リハビリテーションセンター職員、福祉教育アドバイザー)

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