在日の歴史、なんでもQ&A
どうして増えたの?
土地奪われ生活の糧求める/植民地移行、強制連行で
Q どうして在日同胞が増えたの? A 「韓国併合」後、日本は朝鮮で土地調査事業を実施し、土地所有権の明確化を口実に朝鮮農民から土地を取り上げて行きます。この時点で、全農業戸数の3,1%にしかならない地主が5割以上の耕作地を所有し、収穫の60%程度の小作料を取っていました。もちろん大地主の多くは日本人でした。 また1920年からは産米増殖計画を実行します。米増産をはかるための品種改良費、農地改良費の負担が朝鮮農民に重くのしかかり、しかも米価の暴落により、農民たちはますます疲へいしていきました。増産された米は日本本土へと持ち去られ、朝鮮農民の口にはほとんど入りませんでした。 生活に困窮した農民は農村から都市へ出て行きます。しかし日本製品の市場と化していた朝鮮では、工業が未発達で雇用機会も少なく、わずかな働き口さえも廉価な中国人移民労働者に占められていました。このような事情から朝鮮農民は働き口と生活の糧を求めて、日本や中国へ流れて行ったのです。 また第1次世界大戦時の産業活況による労働力不足、そして人件費急騰を抑制するため、日本企業が朝鮮の農村で安価な朝鮮人労働者を募集したことも渡日を促した要因と言えます。 農民たちは田畑や家財を売ったお金を持って、関釜連絡船に乗り込み日本に渡って来ました。1920年代中葉以前はほとんどが男性による単身出稼ぎでしたが、その後郷里から家族、許嫁(いいなずけ)を呼び寄せる者や、一家をあげての出稼ぎも続出しました。1922年に大阪行きの航路が開設された済州島では島人口の4分の1が渡日したため深刻な労働力不足に悩まされたとも言われます。 「併合」当時2600人いた在日朝鮮人は、10年後の1920年には10倍の3万人、1930年には30万人になり、強制連行政策が始まる前年の1938年には80万に達します。その後、強制連行によって在日朝鮮人は240万人に激増しました。 (金大遠、研究家) |