52年目迎えた「4・24教育闘争」
ー教育現場からー 

東大阪朝鮮初中級学校 校長 夫永旭 


目経緯/学校閉鎖令に怒り、全国に
数千人を無差別に検挙
現状/「朝鮮学校」はオアシス
目覚しい発展
今年も、52回目の4月24日を迎えようとしている。「4・24教育闘争」(阪神地域では阪神教育闘争)のことだが、これは1948年にアメリカ占領軍の在日朝鮮人に対する基本政策に沿って、日本当局が朝鮮人学校に閉鎖命令を出し、これを大々的に弾圧したことに端を発して全国的規模で在日同胞が反対闘争を繰り広げた運動のことをいう。

少年の命まで奪う

 1948年1月24日、日本当局は突如、文部省学校教育局長の通達を出し、在日同胞子女たちの民族教育の権利を否定、日本学校への就学を強制した。これは、在日同胞にとっては屈辱的なことであり、到底受け入れ難いことである。

 民族教育の否定とはく奪は同胞にとって、民族そのものを否定されることであり、第2の植民地化を意味するものだった。それ故に瞬く間に同胞たちは全国的規模の反対運動を繰り広げた。

 とりわけ阪神地域では連日、数万人の同胞たちが激しく抗議行動を起し抵抗した。

 

 占領軍と日本当局は同年4月24日、非常事態宣言を発令し、逮捕状なしに数1000人の同胞を無差別に検挙し、手あたりしだいに暴行を加え、数100人に重軽傷を負わせた。

 

 大阪では、警察官の発砲によって、当時16歳の金太一君の貴い命まで奪われた。
写真・官憲に撃たれて死亡した金太一君の写真を先頭に行進する同胞−大阪府庁前)

 

 占領軍と日本当局は、同胞たちが受け入れようもない命令を出し、大々的な弾圧を加えたが、民族教育擁護と民族の尊厳のために立ち上がった同胞たちの熱意を押さえることができず、譲歩を余儀なくされた。

 しかし、全国的に同胞たちが自主運営していた朝鮮人学校の大半は閉鎖され、多くの同胞子女たちは日本学校に就学し、同化を強要された。

 50年代に入り、同胞たちは再び学校建設に取り組み、朝鮮総聯結成後、その運動は本格化した。

 祖国からの教育援助費の送金、種々の教育資料、教具の提供は、在日同胞とその子女たちに勇気を与えこんにちの発展の礎となった。

10万余の卒業生

 あれから52年目が過ぎようとしている。半世紀が過ぎ、時代の変遷とともに同胞社会も3、4世の時代となり、今や当時を知る人々も少なくなった。同胞社会のなかで「4・24」が風化されつつあるのも現実だ。

 しかし、少なくとも教育に携わる者として、「4・24」は決して風化させてはならないと思う。

 なぜなら、「4・24教育闘争」の精神を受け継いだ朝鮮学校が、民族教育を守り、引き続き発展させているからだ。

 50数年間に民族教育を受けた卒業生は1万余人に達した。彼らは同胞社会の担い手として活躍しているだけでなく日本の地域社会にも大きく貢献している。

 こんにち民族教育は、その内容、質においても目覚ましい発展を遂げ、内外からの注目と称賛を浴びているのは周知のとおりだ。

 いじめ、不登校、学校崩壊など、荒廃した日本の教育現場から考えると、「朝鮮学校」はオアシス的な存在であると言った日本人教師の話は過言ではない。

 まさに朝鮮学校の民族教育は、知・徳・体教育のモデルとして、これからも注目されるであろう。

 また、大阪では、170余校の日本の公立学校で「民族学級」「朝文研活動」などが運営されており、3000余人の児童生徒たちに自己を取り戻させ、民族的アイデンティティを培わせて勇気を与えている。

 これらの事実は「4・24教育闘争の精神」、つまり「民族」を守り「民族の明日」を命よりも貴ぶ精神が教育に具現された結果である。

 しかしながら、いまだに日本当局は52年前の「4・24」時と何ら変わりなく民族教育への不当な差別政策を是正していない。

 私はこれらの差別を是正させた時、初めて「4・24」の精神を受け継ぎ、その義務を果たせると思う。

 1世同胞たちの不屈の精神に習い、5、6世の時代になっても民族教育が発展することを望む1人として、微力ながら教育現場で頑張っていきたい。  (プ・ヨンウ

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