南朝鮮の選挙結果をみる
市民運動で70%が落選


地域対立は依然、政治不信も広がる

 13日に投票が行われた南朝鮮の総選挙で、注目の第1党争いは、野党ハンナラ党(133議席、改選前は122議席)に軍配が上がった。与党民主党は、改選前(98議席)よりも議席数を17伸ばして115議席を獲得したが、目標(120議席)には届かなかった。また民主党と連立を組んでいた自民連(改選前50)は、17議席と大きく後退し、院内交渉団体(20議席)構成にも失敗。選挙公示直前にハンナラ党から分裂した民国党は、わずか2議席(改選前10)しか獲得できず、以下「新韓国党」1、無所属5という結果に終わった。

「大物議員」苦杯

 今回の選挙は、市民グループが南朝鮮選挙史上初めて繰り広げた「議員不適格者落選運動」が功を奏したのと同時に、地域対立構図の鮮明化と新旧政治家の交代が進んだ選挙だったと言えよう。

 今年1月、南朝鮮の市民団体は、総選市民連帯(470余団体が加盟)を結成すると共に、かつての軍事独裁政権に加担したなど議員として不適格な現職議員の名簿を発表し、彼らの落選運動をくり広げた。

 結果、今回の選挙では対象者86人中59人(68、6%)を落選させるという成果を上げた。

 しかし、一方では落選運動が地域主義の壁を乗り越えられなかったというのも事実だ。ソウルなどの首都圏では対象者20人中19人(95、5%)、全羅南北道では80中60(75%)、忠清・江原道では23人中18人(78,3%)が落選したのに対し、対象者が35人ともっとも多かった慶尚南北道では16人(45,7%)と落選率が低かった。

在野、若手議員台頭

 南朝鮮での地域対立というのは、慶尚南北道と全羅南北道の対立を指す。新羅、百済の対決という歴史的な背景に加えて、歴代の軍事独裁政権の基盤が慶尚北道にあり、同地方出身者が優遇されたことなどからくるものだが、今回の選挙でも軍事政権の流れを汲むハンナラ党が慶尚南北道の全65議席中64議席を席巻した。一方の民主党は全羅南北道の全29議席中25議席を獲得(同地域の無所属候補4人は民主党に近い)するという結果に終わった。

 この事実は、落選運動が首都圏など競合地域では威力を発揮したものの、地域感情に根ざした既成政党の殻を破ることができなかったことを物語る。

 新人の当選率は、全当選者の41%112人で、前回(59,2%)に比べると低いが、民主化運動出身者(民主4人、ハンナラ三人)と386世代と呼ばれる若手が多数当選した。

 386世代というのは、30代で、80年代に大学へ行き、60年代生まれの世代という意味。全大協議長だった任鍾皙候補や延世大総学生会長だった宋栄吉候補(いずれも民主党)が、当選を果たした。

自民連が大敗

 今回の選挙でもう1つ注目されるのは、自民連の大敗と金潤煥ら「大物議員」の落選だ。

 自民連の実質的オーナーである金鍾泌は、朴正煕の片腕として軍事クーデターに加担した代表的な軍事独裁政権の残存勢力。朴正煕暗殺後の新軍部によるクーデターなどの政変にも失脚することなく、しぶとく生き残って政界のキャスティングボードを握ってきた。それは忠清道を中心にした保守の支持基盤があったからで、これまでの選挙では30議席を下回ることがなかった。

 それが今回の選挙で17議席しか獲得できなかった。保守色の強い忠清道でさえも、市民が変化を期待していることを物語る。

 李寿成(元総理、初)や金潤煥(元韓・日議連会長、五選)、李基沢(旧民主党代表、七選いずれも民国党)といった「大物」が首を並べて落選したことも、同じ脈絡でとらえることができる。

 その一方で、57,2%という総選挙史上最低の投票率は、政治不信が、ますます進んでいることを示している。  (元英哲記者)

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