春・夏・秋・冬

 朝・日の政治状況が好転し良い環境が生まれると、必ず足を引っ張ろうとする動きが顕在化する

▼90年9月の朝鮮労働党、自民、社会(当時)の3党共同宣言と「核疑惑」・「李恩恵」騒動、94年10月の朝米合意と地下核施設・ら致疑惑。朝・日国交正常化交渉が再開した直後の、今回の石原都知事の「三国人」発言は、上記の動きが国家レベルで連携して行われたという点と比較するとその範囲は狭い

▼しかし、他国を侵略したかつての日本が、民族主義の高揚と戦争遂行のために徹底して使った排外主義、民族差別思考そのものが、侵略戦争の敗戦から55年を経たこんにちも生き続けている事を見せつけたという点においては、事の深刻さは重大である。背筋が寒くなるとともに、「社会の国際化」を口にして久しい日本社会の現実を改めて見た思いだ

▼そして、いつもの「遺憾」発言。「遺憾」が謝罪なのかどうか、そんなことはどうでもよい。民族差別をしたことの意識、認識を持ったのかどうか、持っていなかったとするなら(これも驚くべきことなのだが)今後、持とうと努力するのかどうか、その白黒をはっきりさせて欲しい

▼というのも、読者のみなさんも知っての通り、この御仁の「妄言」は1度や2度ならず、さらに日本の社会を見渡せば同様の発言は日常茶飯事だからだ

▼「三国人」という言葉は今後いっさい「使わない」といったそうだが、また批判されるといやだから「使わない」という意味合いが濃厚である。だから、侵略を肯定する主張や思考を根底から一掃する担保となる国家謝罪が緊要なのだ。 (彦)

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