石原妄言の底知れぬ闇ー琴 秉 洞
大虐殺の再現を狙うのか/発言の根に朝鮮人蔑視観 石原妄言(別項)について「アボジはどう思うか」と娘から興奮気味の電話がかかってきた。この時代錯誤の発言について、娘と話しあった内容を以下に書いてみようと思う。 アボジが娘に語る 皮肉っぽく言えば、東京都民は実に「立派な」人物を知事に選んだものだ、と思う。なぜ、そう思うかと言えば、次に予想される関東大震災では、都民のかなりの人は、またも朝鮮人をはじめとするアジア人の大量殺人の片棒をかつがせられることになる可能性が極めて高いことが、この石原発言で明確になったからである。 1926年の関東大震災時には治安担当の内務当局の流言伝播により6000余人の朝鮮人が虐殺されたが、この時動員された軍は率先して朝鮮人殺しの模範を示し、警察、民衆がこれに続いたものだが、軍にはその教訓をまとめた「警備当途軍の所見」というのがある。
衛師団は「騒擾混乱を惹起(じゃっき)せる地域に兵力を配置し、不良分子を威圧掃蕩(そうとう)し、騒擾を予防、鎮圧するを要す」と述べ、第1師団は「敵火、又は不逞人の掃蕩逮捕」をなすべきと言い、「不逞鮮人集団の監視等には、要すれば機関銃を附するを有利とす」となっている。この時の朝鮮人虐殺は本質的には後のアジア侵略時における中国人民をはじめとするアジア人大量虐殺の予行演習と言えるものなので、さすがに日本軍は見事な統括をするものだとも言えるが、何と敗戦後のこんにちでも、防衛庁と警視庁はこの「不逞鮮人掃蕩」の精神を受け継いでいる。防衛庁は1960年に「関東大震災から得た教訓」を、また警視庁と自衛隊東部方面総監部は合同で1962年に「大震災対策――研究資料」というものをまとめているが、要するに上述した旧日本軍の行動、即ち「不逞鮮人の虐殺と弾圧」から教訓を得ることに努める内容である。さて、今回の石原発言は、関東大震災時の朝鮮人虐殺を是とする系譜の中で、その強大な地位、権限を利用して民族排外主義を煽り、その虐殺の系譜を引く流れを自ら大きく作り出した所に特徴があるように思う。 石原知事も過去の罪など全く自覚していない。それどころか昨年11月、元陸上自衛隊北部方面総監の志方俊之・帝京大教授を東京都の「災害対策参与」に任命し、その意見を承けて9月の総合防災訓練に陸海空の三自衛隊を大規模に参加させる予定であるという。(「赤旗」4月11日付)。志方元自衛隊総監の意見や助言の内容は詳らかではないが、防衛庁と自衛隊がまとめた「大震災対策」などからその核心思想はある程度推測がつく。 石原知事の言う「治安の維持」に名を借りて行われたのが関東大震災時の朝鮮人殺しである。「治安維持」の名目で、今度も「三国人」を大量に殺す狙いだということははっきりした。「三国人」発言もアジア人、ことに朝鮮人べっ視を始原とする歴史的由来を有するが、石原知事には昔から民族排外主義が体質化しており、中国を「支那」とか、「支那人」と言ってそのべっ視観を隠そうともしない。新井将敬(自殺した代議士)氏が初めて立候補する時、新井は朝鮮人というちらしを東京2区全域の電柱に張らせて、その品性下劣さを世人に見せつけたのも記憶に新しいことだ。今度も「三国人」と言って何が悪いか、と開き直っている。ここまで来たら問題はただ1つだけであろう。大震災の朝鮮人虐殺問題の真相を国会で徹底的に究明し、問題点を明らかにしてもらいたい。日本政府の責任ある答弁はまだ1度もなされていないのであると同時に次の世代が過去の歴史の真相を学び、歴史の中に自らを位置付け、同胞の無念の死を心に刻み、民族の尊厳を守り抜いてほしいと娘と語り合った。(朝鮮・日本関係史専攻) |