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どのようにして植民地に?


軍事的に脅し不平等条約を強要、不法な強制締結

  朝鮮はどのようにして日本の植民地支配下に置かれるようになったの?

  日本は明治維新直後から「征韓」、すなわち朝鮮の植民地支配を外交政策の重要課題とし、朝鮮侵略計画を用意周到に推し進めてきました。その端緒となったのは、1876年に朝鮮と日本との間に結ばれた「朝・日修好条規」(江華島条約)です。

 以来日本は、朝鮮に様々な不平等条約を強要していきます。なかでも最も重要な条約は、1905年の「乙巳保護条約」です。これにより朝鮮は日本に外交権を完全に奪われ、内政面でも統監府が設置され日本人統監の支配を受けることになり、日本の実質的な植民地となるわけです。1910年には「韓国併合条約」の強要によって、名目的に残されていた朝鮮政府をも解散させられ、朝鮮は日本の完全な植民地になります。

 ところで再開した朝・日国交正常化交渉において最大の論点は、これら旧条約に対する評価の問題です。日本は旧条約が当時としては「合法」的に締結されたと主張していますが、この主張を認めると、「従軍慰安婦」を含む強制連行も「適法」に行われたという日本の主張をも認めることになります。

 では事実はどうでしょうか。1905年当時、国際慣習法では、「国家代表」に対する強制によって締結された条約は、「いかなる法的効果も有しない」とされていました。「乙巳保護条約」はこれに抵触する不法な条約です。条約の賛否を問う閣議は、日本軍の包囲と軍事的威嚇を受けるなかで行われ、また閣議に参加した伊藤博文は、大臣1人ひとりに条約の賛否を答えさせ、賛成多数と決め「調印」を強行したのです。伊藤は席上、「余り駄々をこねる様だったら殺ってしまえ」といった脅迫も行っています。

 このことから「保護条約」を法的に継承した「韓国併合条約」も当然、無効となるわけで、日本の朝鮮植民地統治そのものが違法だったのです。 (金大遠、研究家)

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