わがまち・ウリトンネ(67)
京都・東九条(3)
「ゼロ番地」生活苦が原因、堤防の上にバラック住居
東九条トンネには「ゼロ番地」と呼ばれる地域がある。文字通り番地がないという意味だが、正確な住所は京都市南区東九条南松ノ木町。何と堤防の上にバラックが連なっている。鴨川とその西側に平行して流れる高瀬川との間に挟まれながら、細長く続いている。 ◇ ◇
◇ ◇ 金守一さん(77)らに案内されて現地を訪ねた。真横を鴨川が流れている。大雨が降れば、すぐにでも浸水してしまいそうだ。4段ほどの小さな石段を上ると、人1人しか通れないような狭い道を挟むような形で、両側に何軒もの家が密集している。 「具」「金」など、一目で同胞と分かる表札がそこかしこにかかり、使い古しの錆びた自転車が放置されている。人の住んでいる気配は感じられない。ポストには移転先の住所が貼られてある。 「この辺は今まさに、市によって立ち退きが進められているところで、住人の行き先はほとんどが市営住宅です」と金さん。「昔は100軒ほどが住んでいて、分会の事務所もあったのにね」 同胞らがこの地域に住み始めたのは今から40数年前、56、7年頃のことだ。同胞らは住む場所を探して、京都の他地域、大阪、滋賀、九州、兵庫などから移転してきた。最初は日本人が住んでいたらしいが、同胞の数が増えるにつれ、いつしか日本人はほとんどいなくなっていたという。 同胞らは夜中のうちに家を建てた。「あの頃は朝になると必ず新しい家が建っていたものです」(金さん)。 家賃なし。電気は通っていたが、ガスはプロパン。水道は井戸水。同胞たちがそんな場所に住むようになった最大の理由は、生活苦だった。 ◇ ◇
(文聖姫記者) |