わがまち・ウリトンネ(67)

京都・東九条(3) 


「ゼロ番地」生活苦が原因、堤防の上にバラック住居

 東九条トンネには「ゼロ番地」と呼ばれる地域がある。文字通り番地がないという意味だが、正確な住所は京都市南区東九条南松ノ木町。何と堤防の上にバラックが連なっている。鴨川とその西側に平行して流れる高瀬川との間に挟まれながら、細長く続いている。

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 日本の大学、専門学校に通う在日同胞学生の団体、在日本朝鮮留学生同盟(留学同)京都の生活実態調査班は1978年3月、11日間にわたって、松ノ木地域に住む88世帯、330人の同胞の生活と意識を調査した。それによると、この地域の土地は府の所有物であった。そのことから、正常な手続きを経ていない場所という意味で「ゼロ番地」と呼ぶようになったという説がある。

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 金守一さん(77)らに案内されて現地を訪ねた。真横を鴨川が流れている。大雨が降れば、すぐにでも浸水してしまいそうだ。4段ほどの小さな石段を上ると、人1人しか通れないような狭い道を挟むような形で、両側に何軒もの家が密集している。

 「具」「金」など、一目で同胞と分かる表札がそこかしこにかかり、使い古しの錆びた自転車が放置されている。人の住んでいる気配は感じられない。ポストには移転先の住所が貼られてある。

 「この辺は今まさに、市によって立ち退きが進められているところで、住人の行き先はほとんどが市営住宅です」と金さん。「昔は100軒ほどが住んでいて、分会の事務所もあったのにね」

 同胞らがこの地域に住み始めたのは今から40数年前、56、7年頃のことだ。同胞らは住む場所を探して、京都の他地域、大阪、滋賀、九州、兵庫などから移転してきた。最初は日本人が住んでいたらしいが、同胞の数が増えるにつれ、いつしか日本人はほとんどいなくなっていたという。

 同胞らは夜中のうちに家を建てた。「あの頃は朝になると必ず新しい家が建っていたものです」(金さん)。 家賃なし。電気は通っていたが、ガスはプロパン。水道は井戸水。同胞たちがそんな場所に住むようになった最大の理由は、生活苦だった。

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  前述の留学同京都の調査によると、同胞が同地域に移ってきた動機は1位が「経済的窮状」で40.9%、2位が「仕事」で33%である。しかし、「仕事」探しも貧困によるもので、いずれにせよ生活苦が大きな理由であったことは確かだ。

 (文聖姫記者)

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