知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて

住  居


中央に「大庁」(板の間)/宮殿の建築物が一般化

 人間が生活する上で住居は不可欠のものだが、朝鮮半島ではどのような住居が作られてきたのか。

 一般的に、朝鮮半島の住居は宮殿の建築法にならって作られてきたといわれている。

 李朝時代をモデルにとると、玄関をくぐると中央に「大庁」と呼ばれる板の間があり、左右に部屋、そして前後両面に左右の部屋より狭い部屋が配置されている、というのが景福宮内(交泰殿、康寧殿、慈慶殿)の作りである。

 この様式は、一般民家の舎廊(サラン)家屋(客間に当たる離れ屋)に多く適用され、だいたい中央が板の間になっている。

 板の間、そしてそれを囲むような部屋の配置はいつ頃から定着したのか。諸説いろいろとあるが、1つは中央に土間、その両側に部屋を配置していた中国の様式を真似て、土間を板の間に変えて儀式を挙げられるようにした、というもの。

 そしてもう1つは、朝鮮半島南・中部に多く見られることから、朝鮮半島固有のもの、とする2つが代表的である。

 民家の代表的な型としては、温突(オンドル)と板の間を並列した「田」の字型がある。朝鮮半島北部に見られる型であるという。

 もう1つ、朝鮮半島北部と済州島を除く地域に広く分布している、2つまたは3つの部屋が並列している型である。つまり、部屋を連結していると、部屋数を増やす時、その後ろに伸ばすことが容易である、ということと、冬に数部屋を同時に暖めることが出来る、という利点があった。

 このような点は、中国の住居とはまったく違うものである。しかし反面、部屋を増築する時、敷地の関係、オンドルの能率、使用上の便不便さによって、ある程度の制限は免れなかった。

 だから、付け足す部屋が別棟になっていたり、途中から曲げて作ったりする場合が少なくなかったのである。

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