私の会った人

黒田清さん


 社会の弱者への限りない共感。それがジャーナリスト活動の原点にある。その反対に威張る者、傲慢な権力、差別のシステムに容赦ない怒りのペンを向ける。

 かつて、読売新聞大阪社会部長として100人近い部下を率いた。「黒田軍団」と呼ばれたその時代に、戦争や差別反対の粘り強いキャンペーンを続け、当時、軍拡路線を打ち出した中曽根「政権」や新聞社の上層部と対立した。1987年、退社し、「黒田ジャーナル」を創設。現在は読者との濃やかな交流を柱にしたミニコミ紙「窓友新聞」を発行する。

 「世の中には弱者がいっぱいいる。幸せな人には、少しでも長く幸せが続くように、不幸な人には少しでも幸せに近づけるようにしてあげたい」

 このところ、いっそう右傾化を強める日本の政治・世論への警戒心を強めている。一昨年夏、東京で開かれた「日本の戦時下での強制連行に関する東京シンポ」ではパネラーとして発言し、「エセ学者、エセ漫画家、エセ政治家らの主張がアメーバーのように日本の隅々まで浸透している」と警鐘を鳴らした。

 すい臓癌を患い、大手術に耐え、少し前、現場復帰した。日頃の何げない平和や幸せをかみ締める日々。だからこそ、それを侵すものが許せない。

 「侵略の事実まで否認し、新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)を制定し、新たな戦争をしかけようとしている勢力と闘わずして平和を獲得することはできない」と。 (粉)

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