金剛山歌劇団、民族器楽演奏会を聴いて
「融和」を尊ぶ民族性を体感


 テニス仲間の朴さんに誘われて、金剛山歌劇団の民族楽器演奏を生で聴いた。

 朝鮮の音楽を聴いたのは初めてだが、非常に洗練されていて、なによりも朝鮮文化の独自性と優れた芸術性、そして「融和」を尊ぶ民族性を体感することができた。

 これまで聞くことのできた幾つかのアジアの民族音楽は、いずれも安らぎと伸びやかさがあり、西洋音楽を聞く時のように身構える必要がなくすっと胸に入ってきた。

 競い合いの中から生まれた緊張感のある西洋音楽のハーモニーとは違い、朝鮮音楽は譲り合いの心から生み出された穏やかな調和を保っていた。「融和」という言葉がしっくりするかも知れない。

 歌劇団の演奏に聴き入っていると、聖徳太子が朝鮮から渡来した人々の力を借りて作りあげた「17条の憲法」の第1に掲げられた条文が、不意に脳裏に浮かんだ。あの「和をもって尊しとす」という1文は、朝鮮の音楽を耳にして得たインスピレーションから聖徳太子が作り出したものではないか、と思える程なごやかで、うっとりさせられた。

 それぞれの楽器が素晴らしかったが、なかでもヘグム、コムンゴ、チャンゴなどの音色には心を震わされた。古楽器の解説を聞き、演奏に耳を傾けるうちに、朝鮮半島を、中国文化の案内窓口だと思い込んでいた自分の歴史認識の過ちに気づきもした。朝鮮には、中国文化の翻訳や亜流ではない独自の素晴らしい文化があり、それを育む民度の高さがあったのである。

 差別を嫌っているはずの自分のなかに、なにげなく刷り込まれていた朝鮮べっ視の発想をとても恥ずかしく思った。そういう歴史教育を施してきた日本の教育に愚かさを感じつつ、いつの間にか洗脳されていた自分を反省せざるをえなかった。まさに音楽は、それぞれが持っている良いものを、分かち合い、喜び合い、仲良くしようよ、というメッセージを発していたのだ。(森薫、宮城県在住、フリーライター)

TOP記事 文  化 情  報
みんなの広場
生活・権利