文学散策

清渓川のかいわいを活写、主人公のいない小説
「川辺風景」/朴泰遠(パク  テウォン)

清渓川の周辺


 長編小説「川辺風景」(1938年)は、第1節の「清溪川の洗濯場」から第50節の「川辺風景」までの、いわば50の小話を映画的手法でモンタージュして構成し、植民地都市ソウルの下町に住む庶民の貧しい暮らしをパノラマ風、スケッチ風に見事に活写して見せる。

 小説は、1人の主人公を中心にして、ある事件を展開(発生・発展・頂点・結末)させるのが普通だが、この小説はそんなプロットをいっさい無視し、新しい形式を追求した野心作である。すなわち、これは主人公のいない、あえていうならばソウルの下町の貧しい多数の人々を主人公として登場させた小説だ。


 閔主事、漢方薬店主らを除いた載峰(チェボン)、マンドリ夫婦、イプニ、花子、点竜(チョムヨン)やそのオモニらは、清溪川のかいわいに住む貧しい人々である。点竜のオモニ、イプニのオモニをはじめとした女たちが洗濯場に集まって、かしましい話や笑い声などでごった返している。理髪店の小僧である載峰は、そんな川辺風景を飽きもせず眺めやっている。ひげをいじっている閔主事は、鏡の中のしわだらけの自分の顔を見てため息をつくが、それでもこの世はお金が一番だと思い直し、1人でうれしがっている。

 載峰はふと「平和カフェ」に目を移す。道を歩く女給・花子のオモニの暗い表情が目に入る。向かいの漢方薬店からは若夫婦がアベックで出かけた。薬屋の行廊(ヘンナン=下男部屋)では、マンドリの女房が女主人の小言を聞いている。

 3月も半ば。きわめて簡素ながらイプニの結婚式が取り行われた。点竜のオモニは、イプニに気があった息子のことを思い、はなはだ憂うつである。しかしイプニのオモニ(夫を亡くし13年)は心はずんでいる。同日、倒産した靴屋一家はこっそり姿を消した。

 その後、閔主事は選挙運動の失敗や妻の浮気発覚などで面白くない。マンドリ夫婦も、これまた夜逃げする。結局は、イプニも出戻りだ。女給の花子もある名門に嫁いでいったが、姑(しゅうとめ)と先妻の子の嫌がらせや夫の心変わりなどに苦しんでいる。少年の載峰は理髪師試験の準備に忙しい。

 以上が「川辺風景」の内容の概略だが、一気に読ませる感銘深い力作だ。世態風俗小説とも称せられたが、評論家の崔載瑞は、客観的態勢で事物を見た「リアリズムを拡大した作品」、金煥泰は「緻密な創造力と老練な技巧を備えた傑作」と絶賛している。美しい味のある話し言葉と表現を持つ作品だが、翻訳がないのが残念だ。

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 仇甫・朴泰遠(1909〜86年)は、いわば思想派のカップ(朝鮮プロレタリア芸術同盟)と対じした芸術派の「九人会」のメンバーである。「九人会」は1933年8月に結成されたが、ここには李泰俊、李孝石、鄭芝溶、金起林、李箱らが参加した。当時、ヘアスタイルも河童(かっぱ)刈りにしたモダニストの朴泰遠は「都市的感覚」の作家(安懐南)だとも評された。

 その彼が、朝鮮戦争中の50年に、李泰俊、安懐南、呉章煥らとソウルから越北し、「労働党時代の作家として」(「文学新聞」61年5月1日号)活躍した。

 代表作は「鶏鳴山河は明け行くか」(65年)、「甲午農民戦争」(3巻、77〜86年)である。(金学烈、朝鮮大学校教授、早稲田大学講師)

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