ソクタム―ことわざ辞典
下への慈愛はあっても上への慈愛はない
入学を間近にひかえて、各地の同胞家庭の親たちは、わが子の新たな旅立ちを祝いつつ、子どもがまじめに学校生活を送り、立派に成長してほしいと切に願っていると思う。そんな親の気持ちを子どもが理解し、勉強に励んでくれればいいのだが、そうもいかないのが世の常というもの。
「ネリサランウン イソド チサランウン オプタ=下への慈愛はあっても上への慈愛はない」
つまり、親の深い愛情を知らずに、子どもが勝手気ままな振る舞いをするという意味である。
日本にも、「親の心子知らず」というのがある。
この事と関連して、朝鮮の昔話に「チョンケグリ(青がえる)」というのがある。
むかしむかし、あるところに青がえるの母子が住んでいた。アドゥル(息子)は、大変な親不幸者だった。オモニ(母)が東へ行こうと言えば、アドゥルは西へ行き、北へ行こうといえば、南に行き、山へ行って遊びなさいといえば、川辺へ行くといった有様だった。
オモニは、アドゥルのあまりのひねくれにほとほと手をやいていた。そんなオモニの気遣いも知らず、アドゥルはたったの一度だってオモニの言う事を聞こうとしなかった。
そうしているうちに、オモニは年をとって身動きできなくなり、やがて臨終も間近にせまったある日、アドゥルに次のような願い事をした。
「オモニが死んだら、決して山に葬らないで、川辺に埋めておくれ」(オモニの本当の気持ちは、山に埋めてほしかったのだ)
いつも反対の事ばかりやってきたアドゥルなので、オモニは山に埋めてくれと言えば、川辺に埋めてしまうだろうと考え、わざと反対に、川辺に埋めてほしいと言ったのだ。
オモニが亡くなると、アドゥルは深く悲しみ、これまでの不幸を後悔した。それで、せめてオモニの最後の願い事だけでもかなえようと、オモニのなきがらを川辺の砂原に丁重に葬った。それからというもの、アドゥルは雨が降るたびに、木の枝にのぼっては川の水があふれてオモニのムドル(墓)が流れはしないかと、心配しながらしきりに泣く癖が付いたと言う。
この昔話を知る1、2世のオモニたちは、言う事を聞かないわが子に、「イ(この)チョンケグリヤ!」とよく言ったものだ。