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大阪朝高運動場明渡し裁判 和解成立 最終報告集会

支援の輪、さらに拡げよう

 東大阪市が大阪朝鮮高級学校運動場の明渡しなどを求めた訴訟は、昨年11月20日に和解が成立し、学園側が運動場を1億4600万円で買い取ることになった。これに関する最終報告集会(主催=「運動場明渡し裁判」弁護団、学校法人大阪朝鮮学園)が1月22日、大阪府立中央図書館ライティーホールで行われた。民族教育へのさらなる支援の輪を拡げようと催された集会には、同胞と生徒、日本市民ら350余人が参加した。

「擁護する」「守る」の支援

集会であいさつをする大阪朝鮮学園の辛正学理事長

 集会ではまず、大阪朝鮮学園の辛正学理事長と弁護団団長の丹羽雅雄弁護士があいさつした。

 つづいて弁護団の原啓一郎弁護士が基調報告を行い、和解までの経緯を説明。中森利久弁護士、普門大輔弁護士、金英哲弁護士が補足説明を行った。第5回口頭弁論期日から弁護団に加入した金弁護士は、卒業生として弁護団に加わったことで、「母校を守れたことが一番うれしい」と語った。

 第89回「全国」高等学校ラグビーフットボール大会で3位となった大阪朝高ラグビー部の呉泰誠主将(高3)はあいさつで、1年時に出場した第87回大会会場で「東大阪の朝鮮学校を支援する市民の会」(07年7月31日結成)が「東大阪市の誇り! 大阪朝高ラグビー部がんばれ!」と声援してくれたことに励まされたと述べた。また、和解成立後は練習に集中し「全国大会」で結果を残せたと語り、「これからも僕たちの夢と希望、そして汗と涙のしみついた運動場とウリハッキョを守るため、温かいご協力とご支援をお願いします」と話した。

 「東京枝川裁判」弁護団の師岡康子弁護士は連帯のあいさつで、3月からの東京朝鮮第2初級学校新校舎新築工事が開始するにあたって、大阪の在日同胞たちからもたくさんのカンパ金が寄せられたことに謝意を表した。そして、民族学校が「学校」として認められていないなか、大阪での和解判決をきっかけに、指定寄付金適用のための運動などを共にがんばっていこうと呼びかけた。また、かけはし信勝・大阪府議、府下の「朝鮮学校を支える会」代表からは、府民の誇りである朝鮮学校をともに守っていくため、これからも連帯していこうという激励の言葉があった。

 丹羽弁護士がむすびのあいさつを行い、「『擁護する』『守る』ということを3年間やってきた。そのなかで、絶対に譲歩しないという強い立場がインパクトを与えた。借入金を返すための運動を展開し、指定寄付金適用のための運動も展開していくことが今後の課題だ」と指摘した。

 集会に参加した大阪朝高の金泰基さん(高2)は、「弁護団の人や同胞たちが力を合わせて運動を展開する姿を目の当たりにしながら、感謝の気持ちでいっぱい。たくさんの人たちの期待に応えるためにも学業と部活に励んでいきたい」と語った。

制度的保障確立に向け

集会後の交流会では、勝利的和解に満足することなく今後も朝鮮学校を支援していこうと話し合った

 1952年4月創立の大阪朝高は、57年に生野区田島から河内市(現在の東大阪市)へ移転し、73年に同市内菱江(町)へ再移転した。

 再移転に先立つ72年に告示された土地区画整理事業を受け、大阪朝鮮学園は東大阪市との間で土地減歩に関わる覚書を交わした。覚書には、「後刻決定される減歩は土地等で行うものとし、その方法については学校という教育施設の有益性の立場を考慮して、双方協議のうえ履行するものとする」と記されている。

 大阪朝鮮学園はその後、東大阪市と協議を重ねてきたが、市側は価格交渉の開きを理由に協議を一方的に打ち切り、「当該土地の明渡し等」を求めて07年1月31日、大阪地裁に提訴した。

 提訴内容は、@運動場該当部分のフェンス等物件の収去、土地の明渡しA平成9年1月1日から平成18年12月31日の賃料分7853万3722円の支払いB平成19年1月1日以降から明渡すまでの賃料分1カ月につき47万1034円の支払いなど。訴訟では07年3月17日の第1回弁論期日から09年10月29日の第10回弁論期日まで、原告および被告双方から準備書面や証書などが提出された。

 同提訴に対し、大阪朝鮮学園側は、第1から第9準備書面を提出。問題の本質については、@一般的な土地明渡し等の訴訟ではなく、生徒たちの学習権・教育権にかかわるすぐれて「公共の用に供する基盤的な教育施設」の明渡しに関する訴訟であることA日本の植民地支配の歴史、戦後の在日朝鮮人、朝鮮学校に対する人権抑圧と差別・敵視政策の歴史的経緯と差別の現状、国際人権基準からも判断されなければならないということB東大阪市と大阪朝鮮学園との間で確認された「覚書」の存在、それに基づく当事者の協議の経緯を十分に理解して判断されなければならないということC生徒たちの学習権・教育権を具体的に保障する基盤的な教育施設を奪っても達せられるべき東大阪市の行政目的も必要性も存在しない事実が判断されなければならないことを主張してきた。

 08年10月29日の第10回弁論期日において、和解勧告が出された。裁判官は原告及び被告双方に対し、東大阪市の公益上の理由と大阪朝高生徒たちの学習権保障とを調整するためには、和解手続に移行すべきであると指摘した。

 これを受け、08年11月9日から09年11月20日の和解成立まで、9回に及ぶ和解期日がもたれた。裁判官の「和解案提示に当たっての所見」(09年10月8日付、別項参照)による検討もあり、和解は成立した。

 学園側の弁護団は3年間、大阪朝高生徒の民族教育権を擁護し、生徒たちの「安心して学べる基盤的な教育施設」である運動場を守りきろうとたたかったことで、学園側が市側に提示した買取金額に近接した金額での和解が成立した。

 弁護団ではひきつづき、民族的マイノリティーの子どもたちの教育への権利保障と外国人学校・民族学校の制度的保障の確立に向けた努力を続けていくという。

大阪朝高運動場明渡し裁判 裁判官の所見(要旨)

[朝鮮新報 2010.2.3]