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〈教室で〉 東京第2初級 社会科 白玲子先生

教室で贈られた還暦の贈り物、在校生と卒業生が心を込めて

 昨年11月末、本紙編集局に一通の手紙が届いた。内容は、「教壇で還暦を迎えた白玲子先生」とあり、東京朝鮮第2初級学校(東京都江東区)で教える、教員生活42年の白先生(60)の紹介とともに、彼女が受け持つ5年生の金希英さんが綴った「私たちの担任先生」という作文が添えられていた。

初6の朝鮮史

教壇に立つ白先生

 黒板には人物の絵が貼り付けられていた。天狗のような鼻につり上がった目、顔を覆う濃いひげ。白先生はこの人物をペリーだと明かした。

 「黒船」つまり、7隻の米国艦隊を率いたペリーは、大砲の威力を背景に徳川幕府を脅かし開国を強要した。

 白先生は、「米国は7隻の船で日本にやって来て大砲を撃ち、それによって日米和親条約(1854年)を結ばせた。明治維新後、日本は資本主義への道を進んだ」と説明した。そして、授業では、日本が米国から学び、軍事的威圧によって朝鮮を開国させようとした歴史について話し始めた。

 授業のテーマは、江華島条約(1876年2月、正式名は「朝・日修好条規」)。

 「この条約は治外法権を朝鮮側に認めさせ、朝鮮の関税自主権を認めないなど不平等なもので、東、西、南の主な港の開放と、日本人商人たちの自由な商売の許可、朝鮮の沿海を自由に測量することを規定した。日本はなぜ朝鮮の海を測量したかったのか?」

 白先生の問いに児童たちはグループ別にその理由を話し合った。

 「戦争をする時、海を使うから、船の大きさを決めるため」「侵略する時に攻めやすい場所が分かっていると有利だから」「暖流と寒流を調査して魚をたくさん獲るため」「満潮と干潮を利用して戦うため」…。子どもたちの活発な発表が続いた。

 白先生は、この後、朝鮮は10年間に米国、英国、ドイツ、清(中国)、イタリア、ロシア、フランスなどの国々と10の不平等条約締結を余儀なくされた。江華島条約は「侵略の道を開いた最初の不平等条約だった」と授業を結んだ。

同胞の愛に支えられ

授業のテーマは江華島条約

 教育権擁護闘争で知られる東京第2初級では現在、新校舎建設が盛んに進められている。白先生は、これまで数々の試練を乗り越えて60年以上もの間、民族教育の灯火を守り続けてきた同胞たちの不屈の精神を誇らしく思っている。同校には、同胞たちの絶え間ない闘いと共に、白先生の長年の教員生活の歴史も刻まれている。

 「私が今日まで朝鮮学校の教員を続けてこられたのは、多くの同胞との良い出会いがあったから。トンポトンネ(同胞集落)の懐に抱かれたこの学校で、多くの1世同胞たちと先輩教員たちから愛情をたっぷり受けてきた」

 白先生によると、教員生活に明け暮れる自分のために、母親が弁当を包んでくれていた。ある日、工場で働いているときに、指が機械に巻きこまれ切断するという事故が起こった。母親は数日間弁当を作れなかったが、事情を知った同胞が黙って白先生の弁当を包み、学校の垣根の上に置いてくれたという。そうした同胞の陰ながらのサポートなどが白先生の教員生活を支えてきた。

 授業だけではなく、バスケットボールの指導もする白先生は、学生時代、自他共に認める「スポーツ少女」だった。まだ、朝鮮学校にバスケが一般化していなかった高級部時代から汗を流し、日本の大学生から基礎を学んで朝鮮学校バスケ部の草創期を築いてきた。

 「子どもたちは机に向かって座っている時よりも、動き回っている時の方が生き生きしている。それが自然な姿。一つのこと(バスケ)に集中し、そこから学ぶ協調性や勝利の喜び、悔し涙などは、子どもを大きく成長させる」

先生には内緒で

あっという間の45分間の授業

 10月20日。ホームルームを終えて結びのあいさつを済ませた時、受け持ちの児童らが一斉に、「先生、お誕生日おめでとうございます!」と可愛らしい文字で飾った色紙と花束を白先生にプレゼントした。

 また後日(11月8日)、中級部時代に受け持った教え子たち(高3)12人が、白先生の誕生日を祝いに色紙を持って同校を訪ねた。そこには日本の学校に行った教え子たちの名前も書かれていた。

 「子どもたちの前では照れくさくてうまく話せなかったけど、ウリハッキョ(朝鮮学校)は本当に素敵なところ。学校を守る人たちも良いし、育った人たちも本当に素晴らしい。誕生日でなくても、人を大切に思い、両親と先生を尊敬し、他人によくしてあげられる。これが私たちの財産」

 その「財産」を白先生は40年以上にわたり、変わらぬ愛情と信頼を注ぎ、真心こめて育ててきた。

 同校には、親子2代にわたって彼女の教え子という例も少なくない。朝大はじめ教育者になった教え子も1人、2人でなく、同校教員の半数も教え子だという。

 白先生は、「私たちの手で、日本の社会で活躍し、世界に通じる人材を育てることが、私たちの教育の正当性をより広く知らせることにつながる」と考える。

 白先生の志は、教育現場を守る若い教員たちに受け継がれていくことだろう。(文−金潤順記者、写真−盧琴順記者)

※1948年生まれ。東京中高師範科卒業。東京第2、東京第5で教鞭を取り、初2〜中3を受け持つ。現在、東京第2で5年生を担任。高学年で社会・歴史・地理を教える。バスケットボール部補助教員、模範教授者、第13回および第15回中央教研論文賞受賞。

作文「私たちの担任先生」 「いつも元気で面白い先生」

[朝鮮新報 2009.3.19]