日朝友好に取り組む熊本県民の思い 「朝鮮統一支援は道義的責務」 |
理不尽なバッシング、正さなければ 熊本駅前に大きなやしの木があった。1959年12月、朝鮮に帰国した在日朝鮮人が日朝友好の証に植えたものだ。駅前の再開発で撤去の危機に直面したが、保存を求める要望が受け入れられ、石碑とともに移植されることになった。これに大きく尽力したのが「熊本朝鮮会館問題を考える市民の会」(古沢千代勝代表)のメンバーたちだった。日朝友好への思いや取り組みについて聞いた。 公平・公正を求め 同会は、熊本朝鮮会館の固定資産税問題で、公益性を認め減免措置を継続するよう市に要請するなど力を注いできた。2004年度分の固定資産税減免措置が取り消された最高裁判決(07年11月)後も活動は続いている。 「何も特別な措置を講じろというわけではない。公平・公正に法を適用せよということだ。そうさせるのが選挙権を持つ市民の義務でもある」 同会は、市内で減免措置が講じられている他の約270カ所の「公民館類似施設」と朝鮮会館の違いは何か、なぜ朝鮮会館だけに課税するのか―粘り強く交渉を続け、市の堅い口を少しずつ開かせてきた。 反面、同会のこうした活動を良しとしない日本人もいる。実際、メンバーのなかには抗議の電話やメールを受けたり、接触を避けられるようになった人もいる。郵便物の封が切られていたこともあったという。 こうした現状についてメンバーの一人、永好和夫さん(53)は「正論を言うと叩かれ、朝鮮問題になるとどんな知識人でも頭が真っ白になってしまう。本来、朝鮮バッシングを止めるべき人たちが萎縮してしまっている」と憂慮する。 そして「朝鮮が拉致について謝罪して以降、朝鮮バッシングが強まった。それに付け込み、在日朝鮮人に対してはどんな理不尽なことをしても良いかのような風潮が生まれた。これを正さなければ日本はまともな国にならない」と指摘する。 事務局長の賀來宏さん(66)は「とくに安倍政権が朝鮮に対する強硬姿勢を強化したことで、物言えぬ風潮が作られた。行政も思考を自ら止めてしまった」と指摘。「270カ所」に関する情報開示を渋るなど、市民の声から逃れようとする市の対応から、政府の圧力を感じ取った。「今回の政権交代を機に、世の中を変えて行かなければならない」と語る。 義理を貫く信念 日朝友好運動や朝鮮問題に関心を持ったきっかけは、メンバーみなさまざまだ。だが、義理を貫く姿勢は一致している。それは、日本社会に存在する不平等を許さない正義感、過去の歴史に対するしんしな態度、隣国・隣人と仲良くすることで平和な未来を築こうとする思いとして表れている。 南朝鮮の大田で生まれた賀來さんは、在日朝鮮人と30年来の付き合いがある。訪朝の経験もある。教諭である妻が南朝鮮から来た研究者の子どもの担任を受け持ってから、家族ぐるみの付き合いをするようになった。朝鮮文化を広める交流サークルや、東アジアの共生を目指すイベントなどに参加し、幅広く交流を進めてきた。 賀來さんが「私の夢は南北朝鮮の統一だ」と語ると、メンバーは大きくうなづいた。 「分断の根源を作ったのは日本。戦後も米国を支えてきた。だから統一を支援するのは日本人の道義的義務だ。東北アジアの平和のためにも南北は統一されなければならない」 こうした発言が、熊本の活動家や同胞たちに大きな力を与えてきた。 「教育と科学に携わる者としてのアプローチ」で朝鮮問題を考える永好さんは、「日本の平和を脅かしているのは北朝鮮の脅威である」という虚構を鋭く暴き出す。 「政府は、国民に恐怖心を植え付け日韓への米軍駐留を正当化している。そして、在日朝鮮人が日本人として生きる方が楽だと感じるように差別政策を敷き、団結を妨害している」 塾講師の経験から「こうした真実を押し付ける教育ではなく、子どもたちに考えさせ自ら答えを探すように仕向けることが大切だ」と語る。 あるメンバーは、歴史教育に関心を持っている。偏向・ねつ造の歴史教科書の採択問題や明成皇后殺害事件についての研究活動、熊本県と姉妹都市提携を結んでいる南朝鮮の忠清南道との交流など「友好のかけ橋にしたい」と幅広く活動している。 勇気もらう同胞 保守的な土地柄と言われる熊本で「マッチを擦っても擦っても火がつかない」と語るメンバーだが、思いは他県や朝鮮半島にまで着実に届いている。 歴史に対するしんしな態度は、明成皇后の子孫たちに受け入れられ毎年墓参りなど交流が行われている。 大阪のある同胞女性は、「熊本の人たちの活躍を見聞きし、とてもうれしくなり力をもらった。同時に、朝鮮人が多く住む街に住みながら、どこか縮こまってしまっていたことに対する戒めにもなった」と語る。 熊本の活動家や同胞は、市民のこうした取り組みについて「本当に頭が下がる思いだ。これからも朝・日が連帯し交流・友好運動を広げていきたい」「朝鮮人が朝鮮人として堂々と生きていける社会を後世に残していかなければならない。われわれの力で歴史を動かしたい」と語る。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2009.11.2] |