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平壌聖火リレー 歴史的舞台に立った在日同胞代表

祖国がくれた栄誉と勇気

 【平壌発=姜イルク、鄭尚丘記者】北京五輪の聖火リレーが4月28日、平壌で盛大に行われた。朝鮮での聖火リレー開催は初めて。記念式典には最高人民会議常任委員会の金永南委員長、金英逸内閣総理など国家幹部が出席した。聖火ランナーには、1966年のサッカーW杯で活躍した朴斗翼さん、世界陸上選手権女子マラソンで優勝した鄭成玉さんなどが選ばれた。

 聖火が通過する20余キロの沿道は数十万平壌市民で埋め尽くされた。朝鮮(56人)と中国(24人)の計80人のランナーらは、市民の熱烈な歓迎を受けながら無事、予定された区間を駆けぬけた。中国の北京五輪組織委員会は、朝鮮側の破格の歓待と行事の成功のための努力に心からの謝意を表明した。この歴史的行事の舞台には3人の在日同胞が朝鮮代表ランナーとして参加した。

メインコースを走る

平壌駅前で市民の歓迎を受ける聖火ランナー [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 聖火リレーのコースはチュチェ思想塔広場から始まり、中国軍の朝鮮戦争(50〜53年)参戦を記念し建てられた友誼塔、中国大使館、朝鮮戦争勝利記念塔、平壌体育館、平壌駅、平壌大劇場、金日成広場、千里馬銅像、凱旋門など由緒ある建物、記念碑の前を通り、ゴールは金日成スタジアム広場に設定された。

 晴天の中、80人のランナーらは、沿道の市民から送られる「歓迎」「朝中親善」などのエールに大きく手を振って応えながら、笑顔で走った。

 在日同胞代表の「光幸・朝鮮陸上協会副委員長(在日本朝鮮人体育連合会副会長)は75番目、千葉県青商会の姜尚賢会長は77番目、李学宰・体連副会長(在日本朝鮮人ボクシング協会会長)は79番目の区間を走った。

 在日同胞代表が走った区間は、千里馬銅像前から凱旋門までの区間で、朝鮮人民にとって意義深い建造物がならび、平壌でも指折りの景観を誇る通りだ。2005年の6.15民族統一大祭典で北、南、海外の参加者らが開幕行事の前に行進した区間でもある。

 「副会長は、74番目のランナー、李東奎さんから聖火を受け取った。李さんは、朝鮮で有名なサッカー解説者で60年代に日本から帰国した人物。「副会長とは旧知の親友だ。満面に笑顔を浮かべ肩を組む2人に沿道の群集から大きな歓声と拍手が沸き起こり、撮影記者を乗せた車からはフラッシュがたかれた。

在日同胞代表として聖火リレーに参加した姜尚賢(左端)、李学宰(左から2番目)、「光幸(右端)氏ら(撮影=盧琴順記者)

 接近していた撮影車両が離れ、走り出した「副会長が目にしたのは、遠くに見えるゴール付近の凱旋門だった。「今回のイベントで本当に重要な区間をわれわれ在日同胞が走っているということを感じた。本来なら功績のある国内の人が走るべきだろう。今回のこのようなはからいを、日本反動層の弾圧に屈せずにたたかっている在日同胞に対する祖国の温かい激励と受け止めている」。「副会長は今回の聖火リレー参加が「祖国と総連のスポーツ界の発展のためにさらに奮起するきっかけになった」と語った。

 ラストランナーに聖火を渡す大役も在日同胞代表が務めた。

 凱旋門で待つ鄭成玉さんに向かって走る李副会長の表情は、次第にこわばっていった。そこでは多くの取材陣と観衆がランナーの到着を待ち構えていた。

 李副会長は、「経験豊富だと自負していたが、あの時のような緊張は初めて」と振り返りながら、「聖火ランナーになることは誰もが羨むこと。最高の舞台に立てた栄誉を新たな力に変え、功績ある先輩の分までがんばりたい」と語った。

 姜会長がスタートする地点には多くの青商会関係者が応援にかけつけ、記念撮影をしていた。周囲の人びとは最初、中国の有名俳優が走るものだと勘違いした様子だったが、総連の代表と知り、さらに大きな声援を送っていた。

 「沿道が市民で埋め尽くされるのはスタート地点とその周辺だけでは…と思いもしたが、全区間がそうだった。歓迎一色の道を走りながら、このように熱烈な声援の中なら数十キロでも走れそうだと思った」

 青商会では現在、北京五輪に出場する朝鮮選手を応援するための独自の活動を繰り広げている。姜会長は、在日同胞社会で朝鮮選手応援の雰囲気を盛り上げていきたいと決意を新たにしていた。

平壌聖火リレー 妨害なく安全、順調

[朝鮮新報 2008.5.7]