横田めぐみさんの遺骨DNA鑑定問題 経緯と経過 −3− |
火葬した遺骨の鑑定の実験について (1)微量分析と途方もない結果について 吉井氏によるDNA鑑定は、共和国が1200℃で焼いたと説明された遺骨からDNAが検出された点で、通常では考えられない途方もない結果である。吉井氏自身も「ネイチャー」誌の専門記者に「私もまったく驚いた」と語った。また、氏が行ったPCR法は普通DNAを一度だけ増幅させるが、今回はDNAの増幅を二度行った、と語った。 このような超微量分析とそれに伴う常識では考えられないような結果については、錬金術(鉛から金を作る方法)時代から現在に至るまで夥しい報告がある。このような例で近年最も話題となったものは、のちに「20世紀最大の科学スキャンダル」とよばれるようになった「常温核融合」であろう。以下、この例について超微量分析と途方もない科学的結果についての危険性について述べ、遺骨のDNA鑑定をこのような観点から考察してみる。 1989年3月23日、米国のB・スタンレー・ポンズと英国のマーチン・フライシュマンの二人の電気化学者は電気分解を用いて常温で核融合を起こすことができるという途方もない報告をした。それ以来、世界中で多くの科学者により全世界いたるところで追試験を含めさまざまな実験が行われ、常温核融合会議など多くの学会で研究報告が行われて多くの研究論文が報告された。モリソンによれば、1992年10月3日までに727の論文が発表されたという。このように、超微量物質の検出において、実験結果が科学的に客観的であることを検証するためには、夥しい再現性、追証性と考察を必要とすることがわかる。今回の焼骨のDNA鑑定についても、外部汚染の可否について科学的、客観的な結果を得るためには、多くの追試験が必要不可欠であることは明らかである。常温核融合の真相究明のために設置された常温核融合調査委員会の委員長であるホイジンガは「常温核融合の真実」(J・R・ホイジンガ著、青木薫訳/化学同人)で次のように述べている。 「実験科学者が予想もしなかった途方もない結果に直面したとき、まず初めに考えるのは、なんとかしてそれを追い払おうということだ。それには従来の説明をしらみつぶしに調べあげなくてはならない。予期せぬ結果を抹殺しようとするとき、従うべき簡単な処方箋はない。別の装置や異なる条件下で同じ結果が得られるかどうかを確かめるために、実験装置や解析手続きをあれこれ手直しすることになる。(中略)科学において真の現象は不変である。すなわち、他の人が別の装置を使って非常に異なる条件下で実験をしても、その途方もない結果を−もしそれが真の現象なら−再現することができ、確認できなければならないのだ」 このように、途方もない結果に対しては、否定的観点から原因を徹底的に調べ上げるとともに、異なる条件で夥しい追試験を行って再現性を確かめる必要がある。しかし、日本政府が発表した焼骨のDNA鑑定については、このような科学的手順を踏まず、再現性も確認せず、残存する試料についての追試験すらできない状態である。これでは、政治が科学に干渉して科学的客観性を求めることを妨げているとしかいいようがないであろう。 (2)問題点は実験、観察によって科学的に検証すべき 1200℃で焼かれたとされる遺骨からDNAが検出された点について、さまざまな意見が述べられた。化学の常識では有機化合物は熱に弱く、たいていの有機化合物は500℃以上では分解してしまう。500℃以上の温度に加熱されたDNAが分解せずにそのまま残っている可能性がないことは、科学者にとっては明白なことである。この点について、日本政府の公式見解をはじめ、何人かの人びとは、骨の一部が熱に十分にさらされなかったためDNAが分解せずに残っていた可能性を指摘した。しかし、このことは遺骨のDNA鑑定結果を科学的に肯定することにはならない。科学は実験と観察に基づき理論的考察を行う学問である。このような主張をするならば、実験で用いた骨の一部が十分に加熱されていないことを科学的に検証しなければならない。 一方、2月3日号の「ネイチャー」誌において吉井氏は、「遺骨は何でも吸い取る硬いスポンジのようなものだ。もし、遺骨にそれを取り扱った誰かの汗や油が浸み込んでいたら、どんなにうまくやってもそれらを取り出すことは不可能だろう」と述べている。この証言は、鑑定に用いた遺骨が高温に加熱されていたことを強く示唆する。加熱されていない生の骨は、発掘された古い遺骨でもわかるように、長期間放置されたものでも緻密な状態にある。一方、火葬された骨はもろく多孔質であることは広く知られている。生骨を空気中で加熱していくと、まず水分などの揮発成分が蒸発し、有機化合物は分解、燃焼し去る。さらに高温になるとナトリウムや塩素などの無機物が揮発したり、炭酸塩や硫酸塩などは分解して酸化物となり二酸化炭素や硫黄酸化物を発生して骨から揮発するため多孔質になる。吉井氏が「スポンジのようなもの」と表現していることは、遺骨が十分に高温になっていたことを示す根拠になる。もちろんこれだけでは確実とはいえない。重要な点は、加熱温度について議論するならば、議論するために必要な実験が必要であるということである。いくつかの実験を列挙すれば、 (イ)DNAが残存しているならば、他の有機化合物も当然残存しているはずである。とくに油脂(トリグリセリド)などDNAよりも熱に安定な有機化合物は検出されて当然であろう。このためには、質量分析や抽出とクロマトグラフィーなどによって、遺骨中の人体に由来する有機化合物の分析を行う方法が考えられる。 (ロ)遺骨の元素分析を行い、生骨やあまり高温に加熱されていない骨を対照試料として、成分を比較すれば、試料がどの程度の温度に加熱されたかを推定することができるであろう。とくに、あまり高温に加熱されていないのであれば、有機物が分解した炭素が多量に検出されるであろう。 (ハ)試料の熱分析を行い、対照試料と比較すれば、骨の加熱温度に関する科学的知見が得られるであろう。 単純に考えただけでも、骨の加熱温度について科学的に議論しようと思うのであればこれぐらいのことは必要であろうと気づく。ところが、日本政府は再現性が確認されていないDNA鑑定だけに固執し、それを裏付ける他の実験については何もしていないのである。政府は、遺骨の鑑定に関して科学の専門家と協議したかすら疑問である。あるいは、遺骨のDNA鑑定を行った吉井氏らのグループは、このような科学的視点すら持ち合わせていないのか。吉井氏自身、焼骨の鑑定するのは初めてのことであるならば、遺骨の分析をやっている専門家の意見を果たして訊いたのであろうか。 実験に関する情報がすべて伏せられ密室で行われた科学的、客観性に欠如した実験、考察と思われても仕方がないではないか。日本政府は、一般の科学者に対して鑑定に関するすべての情報を公開すべきである。(熊本県朝鮮会館問題を考える市民の会、永好和夫) [朝鮮新報 2007.12.12] |