女性同盟大阪 生野東支部の1世同胞女性ら 9年かかって夜間中学を卒業 |
「一度だけ学校に通いたい」
東京の桜の花が満開になった4月のある日、一通の手紙が、本紙あてに届いた。開封すると、何かを訴えるような勢いのある文字が目に飛び込んできた。差出人は女性同盟大阪生野東支部・呉貞子顧問(69)。 手紙は、3月14日に行われた大阪市立東生野中学校夜間学級の卒業式に出席した感動をつづったものだった。この日、最高齢90歳を筆頭に、同胞(ほとんどが1世)39人が巣立ったが、呉さんは卒業生の中の、生野東支部傘下の3人のハルモニにお祝いの花束を贈ったという。
手紙には、以下の内容がつづられていた。 「卒業生はほとんどが1世です。華やかなチマ・チョゴリを着て、胸に赤いリボンを付けて一人ひとりに卒業証書を渡す校長先生、呼ぶ名前も本名、国籍を問わず、学びたい人が学ぶ夜間中学校。私はこんな卒業式に参加して感動、感激しました。 最高9年通った生徒、8年通った生徒、最低でも4年、雨の日も風の日も、体がしんどい日も、自分の体に鞭打って休まず通い続けました。卒業生の別れの言葉が胸を打ちます。『植民地時代、悲しい時代を乗り越え、在日の方々と一緒に笑い、泣き、手をつなぎ、学んできたことは、忘れることができないでしょう』。
やがて、卒業生が花道を通って退場、その先には、家族、友人、長寿会の人たちが花束を抱え、カメラを構え、大騒ぎしている。 卒業生の輪の中には、生野東支部の長寿会メンバー3人の姿もあった。文明玉ハルモニ(84)4年間、玄必寿ハルモニ(79)9年間、高己南ハルモニ(78)8年間という長い勉学生活だった。『おめでとうございます』心からのお祝いを込めて花束を3人に渡すと、ハルモニたちは驚きを隠しきれない様子で喜びの表情を浮かべた。そして、さっそく朝鮮民謡を歌い、踊りだした。同胞も日本人もみんな一緒に踊りの輪に加わった。時間を忘れた忘我のひととき。学校はすばらしい。学ぶこともすばらしい。『学ぶべき時に学べなかった』が、今日、生まれてはじめて卒業式を迎え、人生ではじめての卒業証書を受け取った。最高の喜びの日を迎えたハルモニたちに祝福あれ」。 植民地時代、日本に渡り、極貧の暮らしのなかで、学びたくても学べなかったハルモニたち。どのハルモニも黙々と、こまねずみのように働き、家族に尽くした。「死ぬまでに一度だけ学校に通いたい」と願い続けた勉学への夢と渇望。その切々たる思いを叶えたハルモニたちを訪ねた。(朴日粉記者) 夜間中学とは 2002年4月現在公立の夜間中学は、千葉1校、東京8校、神奈川6校、京都1校、大阪11校、奈良3校、兵庫3校、広島2校の8都府県に35校となっている。 生徒の年齢は10代から80代と幅が広い。1990年の国際識字年を機に、夜間中学がマスコミで取り上げられ、生徒数が少し増加した。識字問題には貧困と差別が大きく関わっている。それは夜間中学も同じである。夜間中学の生徒には、貧困や戦争のために子どもの時に学校に行けなかった人、被差別部落の人、障害者、在日朝鮮人などがいる。90年代の傾向として、外国人生徒の増加が挙げられる。国際識字年をきっかけに夜間中学の生徒がいくらか増加したが、それにも増して外国人生徒の入学が多く、夜間中学が多様化している。 (関連記事) 大阪・東生野 夜間中学卒業したハルモニたち 「初めて人間扱いされた」 [朝鮮新報 2006.4.8] |