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民族詩人 尹東柱の足跡、後世へ 京都で市民集会

詩の朗読や独唱 生きた証刻み、未来への記憶に

1943年初夏、同志社大学の同期生たちと宇治川に遊ぶ(前列左から2人目)

 「詩人尹東柱(1917〜45)の想いを今につなぐ」集いが、4日、尹東柱ゆかりの地、京都府宇治市生涯学習センターで開かれた。尹東柱が逮捕される2カ月前、同市内を流れる宇治川天ヶ瀬つり橋を訪れ、学友らとハイキングした写真が生前最後の姿として残されている。集いを主催したのは、同橋の近くに尹東柱を記念するモニュメントを設けようと募金活動などを続ける「詩人尹東柱を偲ぶ京都の会」と「詩人尹東柱記念碑建立委員会」。植民地時代、日本の大学(立教、同志社)に留学し、治安維持法違反容疑で捕らえられ、日本敗戦の半年前に獄死した夭折の詩人尹東柱。鮮烈な民族愛とキリスト教信仰と心優しき童心とが溶け合った尹東柱の詩は、没後60年を経ても同胞ばかりでなく、民族や国境を越えて人々の心をとらえ続けてやまない。

京都・宇治市で開かれた「尹東柱の想いを今につなぐ」集会(4日)

 尹東柱は1917年12月、中国東北地方(旧満州の間島)で生まれた。ソウルの延禧専門学校(現延世大学)に学んだあと、42年渡日、同志社大学に在学中、母国語による詩作が治安維持法違反(独立運動)に当たるとして、翌年7月下鴨警察署に逮捕され、45年2月、福岡刑務所で獄死。享年28歳。当時、福岡刑務所は九州大学医学部の生体実験と深く関わっており、尹東柱も「殺された」とする説が有力視されている。しかし、日本当局はいまだに隠ぺいしており、その死の真相は闇に葬られたままである。

 集いでは、1部で尹東柱の詩の朗読や独唱、伝統的なサムルノリ、プンムルノリが披露された。また、2部「尹東柱の時代を語る」と題した講演では、須田稔・立命館大学名誉教授が「民族の誇り、同胞への愛深き詩人を殺す国家とは何だ」と厳しく日本国家の罪状を追及しながら、「名前や母国語を奪われることは、人間としての尊厳や人格を失うことだ。尹東柱が日本の植民地支配が強化されていく時代に抗して、朝鮮語で詩作を続けたことは命がけの抵抗だった」と指摘した。さらに同氏は「古代朝鮮から渡来した人々にその文化を学び、朝鮮通信使から測りしれぬ人間的叡智を教わりながら、他方で植民地時代における朝鮮人民の皇国臣民化、在日コリアンに対する侮蔑と差別、抑圧からいまだに脱却できずにいるこの国の愚かさを共に憤り、悲しみ、共に苦痛と希望を語り合おう」と語りかけた。また同氏は、随筆家・岡部伊都子さんの言葉を引用しながら「美感覚によって拒否せねばならぬ醜悪は、すでに濃密にわれわれの周辺を、世界を、侵している。差別としての美感覚を、連立としての美感覚に昇華することをいそがねばならぬ。これは感受性を左右する思考の責任だ」「非人間化への抵抗の力を、論理だけではない生身の美感覚として生み」(「朝鮮母像」より)だそうではないか−と訴え、大きな拍手を浴びた。

 つづいて、児童文学者・韓丘庸氏が「京都を駆けぬけた朝鮮の文人たち」と題して講演し、「尹東柱ら当時の京都で生きた多くの文人のたどった道は、辛い過酷な時代と真正面から闘った先達の生きた証」だと称えた。

 また、牧師の古川修二さんが「尹東柱の生きた証を刻む記念碑建立の取り組みが、川の流れのように、小さな思いや願いが一つになって大きな力となるように祈りたい」と語った。(朴日粉記者)

記念碑建立への募金活動

 「詩人尹東柱記念碑建立委員会」は、今年9月、安斎育朗・立命館大学教授らのよびかけで発足し、建立のための募金活動を開始している。

 記念碑建立の趣意書では「尹東柱がほんの一瞬安らいだ表情を見せた宇治天ヶ瀬つり橋近くに記念碑を建て、植民地統治と皇民化政策によって進められた侵略戦争の反省と真の和解に向けて、尹東柱の生きた証を刻み未来の記憶に残したい」と呼びかけている。

 共同代表には安斎教授や須田稔・立命館大名誉教授がなり、随筆家の岡部伊都子さん、哲学者の鶴見俊輔さんら71人がよびかけ人に賛同した。尹東柱の生誕90周年である07年5月の除幕をめざし、約700万円の募金を目標にしている。

募金=個人一口2000円、団体5000円。

募金の振込先=郵便振込「00970−5−168176」。「詩人尹東柱記念碑建立委員会」へ。

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[朝鮮新報 2005.12.13]