尹東柱 治安維持法の犠牲に 「罪は朝鮮語で詩を書いたこと」 |
死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/わたしは心痛んだ。/星をうたう心で/生きとし生けるものをいとおしまねば/そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。/今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳) 詩「序詩」は高校の教科書「新編現代文」(筑摩書房)にも、詩人である茨木のり子さんの名文によって紹介されている。茨木さんは尹東柱が「中身のよくわからない注射をくり返し打たれ」て息絶えたと述べ、「痛恨の思いなくしてこの詩人に触れることはできない」とその無念の死を惜しむ。さらに「二十代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風は、若者をとらえるに十分な内容を持っている」と書き、「詩人には夭折の特権ともいうべきものがあって、若さや純潔をそのまま凍結してしまったような清らかさは、後世の読者をもひきつけずにはおかないし、ひらけば常に水仙のようないい匂いが薫り立つ」と評している。 なぜ、尹東柱は殺されねばならなかったのか。 「宇治・天ヶ瀬つり橋に尹東柱の記念碑を建立するための趣意書」には、次のように指摘されている。
「尹東柱の罪は朝鮮語で、詩を書いたということです。それが独立運動とみなされ『治安維持法違反容疑』となったのです。母語で詩を書いただけで、なぜこのような目に遭わなければならなかったのでしょうか。日本の植民地統治下にあった朝鮮では、皇国臣民化政策を推進するため、民族固有の言語である朝鮮語の使用を禁止され、人格の表象である名前についても民族性を奪う創氏改名を強制して、国語といえば日本語という状況にありました。そのような中で民族文化を守りぬくために、尹東柱はひとり誰にも知られることなく、下宿の部屋で朝鮮語の詩をつづっていたのです」 固有の言葉と文字で美しい故郷に想いを馳せた尹東柱の詩。靖国問題や歴史認識をめぐって東アジア諸国の溝が深まる今、過去を直視し、現在と未来に友好と平和のかけ橋を築こうとする人々を力強く励まし続けている。(粉) [朝鮮新報 2005.12.13] |