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埼玉 金乗院で朝鮮人強制連行被害者の追悼会 「ゴミのような扱い、日本政府に怒り」 遺骨131柱を16個の箱に

 植民地時代に日本に強制連行され、祖国光復後、帰国する際に船が難破して犠牲になった朝鮮人を追悼する会が19日、遺骨が安置されている埼玉県所沢市の金乗院で総聯埼玉県本部、民団埼玉県地方本部、埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団の3者合同で営まれた。調査団中央本部朝鮮人側団長の高徳羽・総聯中央副議長兼同胞生活局長が総聯、民団、埼玉調査団の関係者、同胞、日本人ら約90人とともに参加。訪日中だった南朝鮮の日帝強制占領下強制動員被害真相究明委員会の代表団6人も同席した。

厚労省は参加拒否

朝鮮半島出身強制連行被害者合同追悼会

 同院に安置されている遺骨は131柱。祖国光復後、日本政府が在日朝鮮人を祖国に安全に送り返す義務があったにもかかわらず、何ら対応を取らないことから、自ら船をチャーターし祖国に戻ろうとしたが、1945年9、10月頃、台風に遭い難破し、犠牲となった在日朝鮮人のものとみられる。

 経過報告を行った埼玉調査団日本人側団長の石田貞さんによると、遺体は長崎県の対馬、壱岐などに漂着。そのうちの86柱は、76年に広島の民間団体が壱岐で、45柱は84年に南朝鮮の民間団体などの要請を受けた日本政府が対馬で収集した。同院は93年に45柱を、2003年に86柱を厚生労働省の依頼で預かっていた。

 1986、87年には、中曽根首相(当時)が遺骨送還と調査を約束したとされているが、現在まで放置されてきた。

 この日、主催者側は厚労省と埼玉、所沢出身の国、県、市議員らに参加を要請したが、断られたという。

参加者ら怒り露に

記者会見する全基浩委員長(左)、高徳羽副議長(中央)、石田貞団長

 追悼会では、総聯埼玉、民団埼玉、日朝友好埼玉県民会議、日朝協会埼玉県連合会の各代表があいさつした後、遺骨の確認が行われた。

 131柱の遺骨は、わずか16個の遺骨箱に収められており、なかにはダンボールのものもあった。数人分の遺骨が混ざって入れられており、炭や木のようなものまで混ざっているなど、厚労省の遺骨管理が劣悪だったことを物語っていた。

 参加者たちは「亡くなった後までひどい扱いを受けている」と涙し、日本政府に対する怒りを露にした。

 高徳羽副議長は、「強制連行されたわれわれの祖先の遺骨がゴミのように扱われていたことに心が痛む。問題を隠し不誠実に対応してきた日本政府に対して怒りを禁じえない。北、南、在日の朝鮮人、そして日本人が力を合わせて日本政府を動かしていかなければならない」と述べた。

 真相究明委員会の全基浩委員長は、「支配された国の人々が受けた苦痛がどれほど大きいか。とても悲しい。日本は歴史の反省の材料にしてほしい」と述べた。

 主催者側は、日本政府が遺骨問題に誠実に取り組み、責任を持って一日も早く祖国に返還するよう求めた。また、3月には現地調査を行う予定だ。(李泰鎬記者)

南の被害申告、2万件以上に

[朝鮮新報 2005.2.22]