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国連「子どもの権利条約委員会」に女性同盟オモニ代表が参加

子どもの権利条約委員会議長とともに

 国連子どもの権利条約委員会が1月28〜30日、スイス・ジュネーブの国連高等弁務官事務所で開かれ、日本が提出した第2回締約国報告書審議に基づき、対日総括所見を採択した。所見は、日本政府の大学進学資格基準拡大措置がいまだ不十分だとして、1998年の是正勧告を実施するよう促したほか、在日朝鮮人の子どもたちに対する社会的差別の撤廃、少数者集団に属する子どもたちが自己の文化を享受し自己の言語を使用する機会を拡大することなどを勧告した。一部の歴史教科書に一方的な記述があるとして、教科書の審査手続きを強化することも求めた。女性同盟オモニ代表団(団長=女性同盟中央本部金錦女部長)は1月27日に日本を出発、2月1日まで滞在。委員会に参加し、各国NGOや報道関係者らに民族教育に対する差別の実態を訴えた。

 今回、代表団が委員会に参加したきっかけは、昨年11月に開かれた第6回オモニ大会で「国連にオモニの声を反映させ、民族教育の権利を勝ち取ろう」との意見一致を見たことだ。

 団メンバーは全員、日頃から困難な学校運営をサポートするため熱心に女性同盟やオモニ会活動に励んでいるごく普通のオモニたちである。成田空港では家族に「戸締まりを忘れないで」など電話で念押しする光景も見られた。1週間の間、家族の衣食住の心配と、主婦の日常からかけ離れた国連会議参加という大役を担い不安を隠しきれなかったが、 総連中央の金昭子副議長兼女性同盟中央委員長らの激励に肩を押され日本を発った。

 翌朝、長旅の疲れと8時間時差のリセットの間もなく、チマ・チョゴリに着替えたオモニらの面持ちは雄壮で、まさに決戦のリングに臨むかのようで緊張度はピークに達した。総務の宋恵淑さん(人権協会)の機敏な引率で傍聴バッチを胸に付けいざ出陣。一行の活動は@傍聴A各国NGOや報道記者に各地域別のオモニ会活動や助成金や暴行など差別の内容ビラを配布し実態を訴えることだ。

相次ぐ日本非難

 委員会は、前回98年に日本政府に対して出された勧告と条約がこの5年の間、遵守されてきたかを審議するものだ。条約批准国から選出された18人の委員から構成される。審議は事前に日本政府の報告書と各NGOがこの間提出した報告書、そして当日の質疑応答によってなされ、2日後に総括所見(懸念事項と勧告)が採択される。なかでも朝鮮学校への制度的差別や生徒への暴行事件の実態については人権協会が地道にレポートを作成、報告を行ってきた。

 会議場にチョゴリ姿のオモニらが現れた瞬間、日本外務省をはじめ関係各省庁の代表ら10数人は驚きの目で、一行を凝視した。彼女らの存在が彼らにとって大きなプレッシャーとなったのは一目瞭然だった。委員会が始まると全員、一言半句漏らさじとイヤホンを耳に聞き入った。

 冒頭、国連日本代表部大使が朝鮮生徒に関して「昨年の9月、外国人の大学入学資格について拡大を図った。これは勧告の指示に沿うものであった」。初っ端から「勧告を遵守した」と、自ら誇張した欺まん的な報告にみな、思わず耳を疑った。

 各審議委員からも、「朝鮮生徒への差別の排除と調査がどのように実施されたのか」など具体的な説明を要求する質問が相次いだ。しかし文部科学省代表らは、大学入学資格についてのみ限定し「拡大した」と、終始形式回答を繰り返すばかりだった。しかも各差別、暴行事件にはまったく言及しなかった。このような日本代表らの時間稼ぎと奇弁に、ついに議長がハンマーを叩き警告を発する一幕もあった。

 委員会終了後、 総連映画製作所のインタビューに答えた議長は、「差別に関してはわざと避けたのだろう」と、自ら日本の不誠実さを指摘するほどだった。

 一方、別室の傍聴室では日本の子どもに関わる的外れな回答に「何もわかってないんじゃない!」と日本人高校生からブーイングの声が上がり、教職員らも非難の声を高めるなど室内は終始ざわめきたった。

 「のらりくらり、きちんと回答しない日本代表に怒りが込みあげた。日本は民族教育をなくそうとしている」(鄭美順さん、三重県)、 「まだまだ根本的に解決されてない問題が山積みだ。良心的な日本人と手を取り合って、小さな問題から解決せねばと痛感した」(金順喜さん、福島県)と決意を語った。

NGOらと交流

 休憩時にオモニらは、ロビー活動を積極的に繰り広げた。イタリアのプレスは兵庫の金英淑さん、岡山の黄英美さんらが配布した英文のビラを熱心に読んだ後、他の同僚にも内容を伝えてくれた。

 金錦女団長と東京の厳廣子さん、神奈川の鄭順熙さんらはジュネーブ駐在の南の聯合ニュースや日本人記者と懇談。「韓国日報」(1月29日付)にはオモニたちの訴えが掲載された。また岡山の県会議員や三重、沖縄など各地の先生や学生らが声を掛けてきて名刺交換するなど、互いに日本に戻ってからの訪問の約束を取り付け合っていた。

 今回、日本審議担当委員であった南のリ・ヤンヒ女史の「日本代表は私と在日同胞との接触を快く思わないが、各国の委員たちはグローバルな視点でとらえている。今日のオモニたちのように国際舞台に参加するなど、女性たちが高い水準の活動を行っていかなければならない」との激励のメッセージは、全員の胸にしっかり刻み込まれた。

 審議2日後に出された総括所見は、「前回の勧告をさらに徹底させ、朝鮮児童への社会的差別とたたかい基本的なサービスへのアクセスを確保するようにあらゆる必要な積極的措置をとるよう」勧告した。この文言は、98年の審議に 総連各代表が参加したことを契機にした地道な報告書提出、オモニたちの委員会参加などの活動が反映されたものに他ならない。(金静媛、山口県朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側事務局長)

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〈ジュネーブ滞在記〉 国際社会で威厳放つ朝鮮

[朝鮮新報 2004.2.10]