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〈ジュネーブ滞在記〉 国際社会で威厳放つ朝鮮

 成田から約13時間、ジュネーブ空港に降り立つと、到着ロビーで30代半ばの2人の男性が笑顔で両手を私たちに差し出した。すると「ソンセンニム!」と金錦女団長が駆け寄り、固い握手を交わし始めた。

 その光景に長旅でもうろうとしていた私の頭はやっと覚醒し状況を把握した。彼らは私たちを出迎えてくれた、朝鮮外務省国連代表部の書記官だったのだ。滞在中、代表部公館に表敬訪問する予定はあったが、まさか現地時間の夜半に自ら出向いてくれるなど予想もしていなかった。

 2人はさっそく2台のベンツに荷物と団員を乗せ、ホテルに向け車を走らせた。車中で「オモニムたち、明日は日本代表がどんな発言をするかしっかり聞いてください」とニッコリと目を細めて話しかけた。国連では日本の欺まんに満ちた発言など通用しないのだと言いたげであった。

 人権分野担当の書記官の大らかさに私たちはとまどいながらも、次第に緊張の糸がほぐれていくようだった。

心からのもてなし

 会議に参加した後、書記官は国連欧州本部やWHO(世界保健機関)、ILO(国際労働機関)などの国際機関を案内してくれた。書記官の案内で館内を見学できるのは私たちが共和国の海外公民であるからだ。中でもIOC(国際オリンピック委員会)の正面玄関横には3本のポールがそびえ立っていたが、その1本に共和国の旗が大きくたなびいていた。加盟国の国旗が周期的に交換されるのだが、偶然にも私たちを出迎えるかのように共和国の旗が国際社会で威厳を放っていた。

 会議の翌日、代表部は一行を晩さん会に招き、家族らの小公演を披露するなど心からもてなしてくれた。何よりも、「オモニ代表団は国際舞台で日本政府に大きな打撃を与えました」との副代表の言葉は身に余る栄誉であった。金団長は、「祖国の懐に抱かれたような歓迎に心からの感謝の意を表します」と謝意を述べた。

 歓談中、ある参事は「今やアメリカはウリナラの言うことを聞くしか道はない。もう朝米関係は何の心配もない」と話した。このひと言にみな、共和国の対米政策への自信と威信を強く感じた。これまで日本の報道に知らぬ間に左右されていた自分に恥じ入る思いであった。

 2日後には、今度は首都ベルンの駐在朝鮮大使館からの招待を受けた。大使館でも婦人らの手料理でもてなされ、帰り際には婦人と子どもたちの肩を抱き合い、別れを惜しんだ。普段、平凡な私たち主婦にとって夢のような手厚い歓待に「まるでウリナラに来たみたい」と口々に語り涙を拭った。

同胞の力が結集

聯合ニュースの記者とともに

 私たちは祖国の統一に向け、今後各自が役割を果たさねばと痛感した。日本政府に対し差別撤廃を勧告する南のリ・ヤンヒ委員、朝鮮学校生徒への差別の実態を大きく報道した聯合ニュース記者。北南そして海外で活躍する同胞の力が今、着実に統一に向け結集していることを私は確信した。

 国際社会の中で祖国が自信に満ちあふれ、世界の国々と同等に共存している姿をこの目で確認し、祖国訪問時以上により強く、海外公民としての誇りと自負心を得ることができた。

 その一方で日本政府は過去の清算をすることなく、半世紀以上にわたって植民地被害者の子孫たちの民族教育に制度的な差別を加え続けている。折りしも、日本への再入国数日前には不当にも、「経済制裁法案」が衆議院を通過したというニュースに接し怒りがこみ上げた。共和国公民への冒とくは断固許せない。

 今後私は在日朝鮮人≠ニいう立場に終始することなく、日本当局の総聯組織や同胞、なかでも民族教育に対する差別、弾圧に対し、共和国の海外公民として立ち向かっていきたい。(金静媛、山口県朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側事務局長)

[朝鮮新報 2004.2.10]