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〈在日本朝鮮留学生同盟 過去・現在・未来〉 留学同東京

平壌焼酎片手に

 政治、経済、文化の発信源であり、あらゆる階層がひしめく、東京。

 「政治の都市であり外国人も多く、最も危険な知事が就いている東京は、対外活動を積極的に展開できる可能性があるし、その必要があります」(高昌佑留学同東京総務部長)

 この地域的特色を活かしつつ留学同東京は独創的な運動を行ってきた。なかでも6.15北南共同宣言の精神にのっとり、祖国統一運動、朝・日平壌宣言実現に向けた対外活動を積極的に展開している。

 6.15北南共同宣言によって連携する機会を得た「在日韓国留学生連合会」とは昨年10月、「在日南北学生フェスティバル−統一祈願ハンマダン−」という500人規模の大運動会を開催。その後も新宿大久保のコリアンタウンでサッカーW杯の共同応援を行うなど、交流はますます盛んになっている。

 「問題は、北南の対立ではなく、統一か反統一かにある」ということを行動でアピールしてきた。「若者はやはり、まず行動です」(尹和也留学同東京委員長)

日本人学生とも

 朝・日国交正常化交渉も日本の一部反動勢力のためにこう着状態に陥っている。しかし反面、日本の極右化に心を痛める良心的な日本人が数多くいることも事実だ。

 そのような人々と連携していこうと留学同東京では、「日朝若者シンポジウム」を結成。留学同をはじめその他の民族団体、南朝鮮留学生、日本人学生の有志が協力し合い、朝・日国交正常化の意義を訴える講演会などを行ってきた。

 「ここには、所属団体、出身などの壁はありません。朝鮮人、日本人が席をともにして平壌焼酎片手に談笑する、という極めて平和な光景が見られます。こんな輪がいっそう広がっていけばどんなにすてきでしょうか」と若者シンポジウム参加者の1人は語る。

東大民受連を結成

 留学同東京では日本人学生と一緒に力を合わせ、不当な大学受験資格差別是正を訴える活動を展開してきた。

留学同の歴史あれこれ

 現在の留学同東京都本部は、解放直後の1945年9月14日、留学同の前身である在日本朝鮮学生同盟(朝学同)結成と同時に朝学同関東本部として出発。55年に留学同関東本部に改称後、一貫して祖国統一活動に力を注いできた。

 とりわけ80年代以降は、関東圏の大学を中心に演劇公演を次々と行い、特に徐勝、徐俊植兄弟の波乱に満ちた青年期をテーマとした「沈黙」、林秀卿の訪北を描いた「ウリヌンマンナヤハンダ(私たちは会わねばならない)」は多くの日本人学生にも共感を呼んだ。

 その後、大学が都心から離れ郊外に分散してゆく状況下で、96年以降東京、西東京、埼玉、神奈川の各本部が結成された。

 4月には東京大学で「民族学校出身者の東大への受験資格を求める連絡協議会」を立ち上げている。京大、東京外大で受験資格を認める方針を大学として発表したこともあり、関東でもその流れを強くしていこうと圏内の国立大学にいっそう働きかけていくつもりだ。

 11月9日には朝青などとの共催で多文化共生社会実現をテーマとしたイベント、「TOKYO YOUTH FESTA」を東京都北区の東京朝鮮中高級学校で開催する予定だ。

 1部は「多文化共生授業参観」と題し、朝鮮学校、インドネシア学校、ブラジル人学校などさまざまな外国人学校教師と生徒らによる模擬授業を実施、参観する。2部では、多彩なゲストを交えたトークや歌と踊りのステージを繰り広げる予定だ。

 「留学同は、新しい時代の創造に向けて頑張っています。最近の複雑な情勢、異常なマスメディアのあり様に心を痛めているであろう在日同胞の希望の星となってみせます。これからも留学同をどうぞよろしく。」(高総務部長)

 「自分たちの後輩が朝鮮人として普通に生きていくことができる社会を築くことが、先輩としての責任。それを果たしていきたい」(尹委員長)

尹和也委員長のコメント

 大学入学後に留学同と出会い、初めて朝鮮の言葉、歴史、文化を学び、多くの仲間たちと語り合うことができた。

 留学同とめぐりあったおかげで、それまで自分を縛り付けていた鎖から、自分自身を解放することができた。

 現在、とくに若い世代の同胞たちの間で民族性が希薄になり、同胞社会全体が閉塞感を脱しきれていない状況にあると感じている。そんななか、1人でも多くの同胞学生たちに会い、様々な才能や可能性を秘めた彼らを留学同に網羅してゆくことこそが、現状を脱し、より豊かな同胞社会構築のための大きな力になると確信している。

〈思い出の日々〉 サマーキャンプに参加して

[朝鮮新報 2003.8.18]