在日本朝鮮留学生同盟−OB、OGたちの就職事情 |
「将来の夢をかなえるために、私はこんな仕事がしたい」「自分に合う仕事って何だろう」−このような思いを胸に、就職活動シーズンを迎える同胞学生たち。厳しい就職戦線を乗り越え、SONY、CAPCOM、大都販売など大手企業で活躍する留学同卒業生たちの「今」を紹介する。 ひとつ自信が持てるものを 愛知中高卒業後、名古屋大学工学部情報工業科に入学。同大大学院を経てソニー(株)に入社した。現在は本社(東京都品川区)のIT開発部に勤務しながら、ソフトウェアの開発に携わっている。この道を選んだのは、昔から数学や物理が好きだったし、時代の最先端を行く情報、通信事業に興味があったからだ。 音「SOUND」や「SONIC」の語源となったラテン語の「SONUS (ソヌス)」と、小さい坊やという意味の「SONNY」を掛け合わせた「SONY」という社名は、自分たちの会社は非常に小さいがそれにも増して、はつらつとした若者の集まりであるという意味がこめられているそうだ。そのような社名の通り、職場は自由で開放的。朝鮮人だからといって差別されることもなく、基本的にのびのびと自分のやりたいことをやらせてもらえる。しかしこのような恵まれた環境は、逆に言えば実力によってのみ個人が判断される厳しい世界であるということを意味する。現状に甘んじるのではなく、常に向上心を保ちながら切磋琢磨していきたい。 大学時代の留学同活動は、私にとってかけがえのない思い出だ。社会人になってから、自分が朝鮮人であることを意識する場が少なくなった。現在は、今も交流を続けている留学同の仲間との触れ合いの中で自分のアイデンティティーを再確認する日々だが、もし大学での留学同生活がなければその作業がいっそう困難になっていたであろうことは想像に難くない。このように、「朝鮮人である自分」を再確認できる場所と仲間を与えてくれた留学同には本当に感謝している。 社会人になって1年半が過ぎた。後輩たちにアドバイスできることは少ないが、「何でもいいから自分に自信があるものを見つけてほしい」ということ。必ずしも自分の将来に直結するものじゃなくてもいい。「英語だけは人に負けない」とか「他人とのコミュニケーション能力には自信がある(誰とでもすぐに打ち解けられる)」「サッカーが(上手じゃなくても)大好きだ」など…。なにかひとつ自信が持てるものがあれば、その自信がいろんなことにチャレンジする原動力になると思う。 この仕事の魅力は、新しい商品を作る喜び。自分が関わった製品が店頭に並んでいるのを目にしたり、話題になっているのを聞いた時に一番やりがいを感じる。現在はチームの一員として商品開発に携わっているが、今後は、自分がひとつのプロジェクトのディーラー(まとめ役)として、新しい商品を生み出していきたい。(洪順姫、27、SONY(株)本社IT開発部) 「普段通りの自分」で 大阪朝高を卒業後、「何かを作る分野を」と大阪工業大学建築学科に入学した。建築の勉強はそれなりにおもしろかったが、3年の終わりから就職活動を始めながら、「ほんまにやりたいこととちゃうなあ」という違和感が次第に募るようになってきた。そんな時、たまたま手にした就職雑誌に現在の会社が紹介されており、「おもしろそうやな」と面接を受けに行ったのがきっかけで入社した。 現在は、主に家庭用テレビゲームソフトの企画、開発などに携わっている。この仕事は「次はどんなんやろうかな」と思いつくままに想像を重ねたり、チームを組み、みんなで力を合わせてひとつの作品を作り上げていくところがおもしろい。また、できあがったゲームを体験したユーザーからさまざまな反応を聞く時、やりがいを感じる。 このような「作り出す面白さ、楽しませる喜び」を学ぶきっかけは大学時代の留学同活動だった。留学同では支部委員長なども務め、メンバーたちが楽しめるような企画を常に考え実践していた。通信ひとつにしてもどうすればおもしろく読んでもらえるだろうかと頭をひねり、楽しみながら作っていた。このような留学同活動が今の仕事につながっていったし、もし留学同での体験がなかったらまったく違う人生を歩んでいたかもしれない。 留学同活動でも勉強でも、一生懸命やったことが自分の糧になった。就職活動については、事前にマニュアルを叩き込まなくてもいいのでは? というのが経験者の実感だ。 地道な努力が成功の源 「何か違う」…。就職活動時代、アパレル系のメーカーが催す就職説明会などに足を運びながらこのような違和感を感じていた僕は、「同胞のためにできる仕事はないだろうか」と漠然と考えるようになった。そのような時に留学同から紹介されたのが、現在の就職先である「大都販売株式会社」だった。勧められるうちに同胞社会の基幹産業ともなってきたこの業界のノウハウをしっかり学ぶことがこれからの同胞社会の発展に貢献することにつながり、また同胞の利益のために働いているというやりがいを感じることができるのではないかと考え、就職を決意した。 当社では、新入社員はまず初めにメンテナンス業務に就くのが慣わしだ。業界の仕組みを一から学ぶためである。そのため、私も入社後の研修を経て、京都の営業所に配属された。現在は同営業所で主にメンテナンス業務に携わっている。 この業界に入って、経営者はすごい努力をしているんだということを学んだ。「パチンコ屋は金持ちだ」とか「華やかだ」とか言う人がいるが、僕が出会った経営者たちは地道な努力で成功を勝ち取った人たちばかりだった。そんな人たちとの出会いを通じて仕事の厳しさを学ぶことができたし、彼らに一歩でも近づけるよう、寝る間も惜しんでこの仕事を覚えようと奮闘している。 現役の学生たちにアドバイスしたいことは、留学同活動をはじめ、いろんなことにチャレンジして多くの人と出会ってほしいということ。高校までは地元である山口県宇部市で育ち、親せき以外の朝鮮人とほとんど接することがなかった僕自身、大学で出会った留学同は民族、祖国を初めて感じることのできた新鮮な空間だった。僕の夢は、在日同胞社会において、独自の経済圏を形成すること。留学同で培った同胞学生同士の民族的なきずな今後もが役に立っていくことは間違いない。(金昌圭、25、大都販売(株)京都営業所) 素直に公表することから 朝鮮の食糧難を解決したいとの思いから食糧問題に興味を持ち、第一志望の大手メーカーの部長面接で、「御社で食糧関連の問題に取り組んでいきたい」と自分の希望を話した。「初心を忘れず仕事に取り組んでもらえれば、当社もうれしい」という答えが返ってきたが、結果は不採用であった。その会社に勤める大学OBによれば「朝鮮籍でだめになったらしい」とのことだった。周囲には就職活動に有利だからといって朝鮮籍を韓国籍に変える人もいたが、就職採用のために本来持っている国籍をわざわざ変えることに疑問を持っていた僕は、朝鮮籍のまま就職先を決めたかった。 そんな時、面接の機会をくれたのが、埼玉にある小さな環境関連会社だった。 1対1の面接で「在日朝鮮人のことを良く知らない」と語る社長に、自分の生い立ちから1つひとつ話した。気づくと2時間がゆうに過ぎていた。 社長はその場で内定を出した。しかし正式な返答が遅れたことで内定を取り消されてしまった。 昨年9月18日の早朝、社長に直談判をしようと出社を待ち構え、もう一度自分をアピールした。待ち構えていた僕に社長は「朝・日首脳会談」や「拉致事件」にはまったく触れず、「もう一度、あなたを採ろうと思う」と言ってくれた。 在日同胞学生が就職活動をする時、最初にぶち当たるのは往々にして、あるかないかわからない民族差別への不安である。親の時代と違って、現在は朝鮮人であることで露骨な差別をされることはなくなっている。しかし差別はまったくなくなっているわけではない。僕は偶然にも今回その一端を知ることができた。だからといってしり込みばかりしていられなかった。なぜならば在日同胞が日本社会で敬遠されるのは多くの場合、日本人にとって僕らが未知の存在であるからということに気づいたからだ。民族名を名乗り、朝鮮人である自分を素直に公表した上で内定を勝ち取っていくことが、後輩たちが日本社会へ出てゆくための布石になってゆくだろう。差別のない社会を作り上げるにはこのような1人ひとりの積み重ねが大事だと痛感した体験だった。(周福植、23、明治大農学部4年=就職内定) [朝鮮新報 2003.2.1] |