故郷の地で ・朝鮮学校 初の南公演・(下)

未来を築く財産に


1世の願い胸に

 ソウル、全州合わせて4500人が観覧した在日本朝鮮学生少年芸術団の公演。そこには、幕が上がった瞬間から涙する人たちの姿があった。彼らは朝鮮学校の児童・生徒たちの姿に何を見たのだろうか。

ソウルの高校生とトッポッキで交流(8日、ソウル、写真はいずれも「学友書房」権理華記者)

 「妻の実家が総聯系だということで苦労を重ねてきたが、公演に出ている姪の姿を見ると、いい世の中が来たとつくづく思った。統一に対する熱情、活力を感じた。真心のこもった公演でした」(金ミョンテさん)

 「子どもたちの姿が感慨深かった。この子たちを育てるのは簡単なことではないはず…。南と北の間にある壁が崩れたようだった」(金光洙さん)。

 「祖国への想い、統一への願いが歌や踊りの動作ひとつひとつ、体全体から溢れ出ていた。客席と舞台をひとつにしてくれた子どもたちに涙し、感謝の思いが込み上げてきた」(リ・エジュ・ソウル大教授)

 祖国の分断は北南のみならず、海外に散った数多くの同胞に影を落としている。6.15北南共同宣言の実践、すなわち統一への道のりは、多くの同胞が抱えている分断の傷を癒していく過程でもある。

公演の様子は全州の地元紙の1面に大きく報じられた

 ソウル、全州の両公演に訪れた韓相烈牧師が、「朝鮮学校の生徒の姿に民族の、分断の痛みを感じた」と述べていたように南の市民たちは、自らの痛み、統一への希望を生徒たちの姿に重ね合わせていた。

 「統一したその日に祖国へ帰ろう」。この願いを胸に故郷の地を踏めず世を去った同胞1世は数知れない。朝鮮学校の歴史を創り上げた同胞の願いを胸に秘めた生徒たちだったからこそ、南の市民と思いを共有できたのだった。

 東京朝高の徐貴華さん(3年)は「何よりうれしかったのは、私たちの心が南の同胞に伝わったことだ」と語る。「拍手に込められた期待に踊りで応えなければと思いました。感激的で感動的な拍手。絶対に忘れてはならないと思いました」。

 神戸朝高の盧由華さんは、「南に来るまでは南の人たちが私たちのように統一を強く願っているとは思わなかった。階段に座って、そして立ってまで公演を観てくれる人々。涙を流しながら一緒に歌を歌ってくれる姿に、すべての人が統一を願っているのに、なぜ統一されないのかという悲しみで胸が一杯になった」。

 観客の熱いまなざし、鳴り止まぬ拍手は子どもたちの涙も誘っていた。

 芸術団は、12年ぶりにソウルで開催された「2002北南統一サッカー」も観戦し、北と南のチームを応援。統一旗を掲げ、応援歌を歌う元気な姿は会場の注目を浴びた。試合後、「総聯の学校から来たの」「チョゴリがかわいいね」と声をかけたり、写真を一緒に撮ろうと子どもたちの肩を組み、手をつなぐ市民の姿は後を絶たなかった。祖父母すらできなかった親せきとの対面も統一への希望をふくらませていた。

しんどい時こそ

 「日本の植民地支配の遺産としてわが民族は分断された。長い間、われわれの心の中にあった壁を崩し、この地に民族の魂、平和・統一への思いを育んでくれた朝鮮学校の子どもたちを誇りに思う」

ソウル最後の日、公演の実現に尽力した人たちと「われらの願い」を熱唱(8日)

 日本に戻るのが明日に迫ったソウル最後の夜。芸術団のために、晩さんの席をもうけた金相賢・韓国青少年サラン会理事長(66、国会議員)は感無量だった。

 「異国で民族の誇りを育む朝鮮学校の子どもたちは民族の財産。彼らの民族心を育み、統一の願いを実現させる仕事は南北双方の課題だ」。金理事長は自らに言い聞かせながら、「南と北をつなぐ橋の役割を果たしてほしい」と生徒たちにエールを送った。

 在日同胞の民族教育に対する理解は、南の市民の間で始まったばかり。今回、朝鮮学校生徒と南の高校生との共演、交流が初めて実現したが、統一を遂げるパートナーとして交流を続けていきたい、南北関係が難しい時こそ、両者をつなぐ役割を果たしてほしいとの期待は切実だった。

 「北と南は違いもあるが、やはり同じ民族だと実感した。私たちはプロじゃないけど、統一に寄与できる力を持っている」(金嬉仙さん、京都朝高3年)

 南の社会に大きな感動と波紋を呼び起こした芸術団の公演。何より朝鮮学校の子どもたちがつかみ取ったこの「実感」が、統一、そして朝鮮学校の未来を築く財産になる。
(張慧純記者)

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