われらのチャンプ 洪昌守ストーリー -4-

「誰もできへん活動を」

みんなに夢と希望を与えて


朝青班長

朝青の仲間と朝鮮舞踊の練習にはげむ(左)

 2000年4月12日の朝鮮新報を手にとった当時の総聯大阪・東成支部、全R佑朝青委員長と洪昌守・大成班班長は顔を見合わせた。「北南会談が開催される?!」2人の脳裏には3カ月前のことが蘇っていた―。

 その年の1月、全国の朝青支部委員長講習で祖国を訪問していた全委員長が支部に帰ると、緊張した面持ちで洪昌守班長が待っていた。

 「8月に世界戦が決まりました」。世界チャンピョンを目指して初めてやってきた大阪で朝青と出会い、朝青とともに成長してきた洪選手。98年、大成班の班長を任されてからは、いっそう責任感を強くしながら、ボクシングの練習に励む一方で朝青活動に励んできた。サマースクールの動員に励みながら、「なんとかせなあかん」と日校生に直球でぶつかった。時には「参加する」という約束を破って自宅で寝ていた日校生を叩き起こし、動員することもあったという。試合に向けて全身全霊を傾けなければいけない時期に、班長としての役割が果たせなくなるのではという洪選手の気持ちを、全委員長は痛いほど察していた。

 「お前は練習だけせえ。チャンピオンになって在日同胞に夢と希望を与えることがお前にとっての朝青活動や」

支部での学習会にも熱心に臨んだ(前列右)

 それから5カ月、北南首脳会談が開催され、7000万朝鮮民族の統一気運が一気に高まった。洪選手もハードな練習の合間を縫っては朝青活動に参加。北南会談を支持する街頭宣伝にも立つうち、1つの共通した思いが全委員長と洪選手、2人の心に芽生えた。

 「世界戦をなんとか統一の流れのなかで戦えないか」

 すべての在日同胞を巻きこんだ1大イベントにしたい。しかも相手は南朝鮮の゙仁柱選手。話題性もある。「リングに上がった昌守が本当の意味で統一旗を振って『朝鮮はひとつ』と言えるような試合にしたかった。2人のイメージは同じだった」(全委員長)。

 朝青応援団事務局を結成し、ポスター張りはもちろん、応援ステッカーをデザインして全国の朝青に配布。地元・中大阪初中の全校生にシールを張ったノートをプレゼントしたり、洪選手の紹介ビデオを作成し、日本学校にも送るなど知名度アップにも努めた。洪選手、そしてすべての民族の願いをこめた「祖国統一」の文字が入った衣装、「統一旗」などの応援グッズ…。すべては東成支部管下の非専従朝青員、30〜40人の手で行った。

 当時応援団事務局の責任者を務めた文成範さん(33)は、「何かをやろうとしている仲間を後押しするのは当然のことだし、それが朝青のええところ」と語る。

 現在、総聯東成支部で同胞生活部長を務める全・前委員長は、「誰もできへん朝青活動をしたのが昌守だった。朝青に出れなくても大目にみたるわ。互いに願う同じ未来を手に入れるためにこれからもがんばろう」とエールを送る。

 彼らがサマースクール活動を行った98年夏の同支部の動員数は27人。支部独自としては、全国で1番多い数だった。その記録は今も破られていない。(李明花記者)

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