東京地裁、原告請求を棄却

帰国事業関連訴訟


 帰国事業で日本から朝鮮に渡った金幸一氏が昨年6月、朝鮮で苦痛を受けたとして総聯に550万円の損害賠償を求めた訴訟の判決(東京地裁)が8月30日に出され、請求は棄却された。判決は、1962年11月に金氏が朝鮮から南に出国し、66年に本を出版した時点で被害を認識していたとし、「この時点から10年で賠償請求権が消滅した」と指摘した。

主体は朝・日赤十字

 金氏は愛知県岡崎市出身で61年6月朝鮮に帰国、そこで精神的肉体的苦痛を受けたとし、帰国事業の主体である総聯に賠償責任があると主張してきた。

 しかし、朝鮮への帰国事業は59年8月に日本赤十字社と朝鮮赤十字会との間で協定が結ばれ、これに基づいて行われたもので、総聯が主体となって行ったものではない。

 また金氏が主張するように、総聯と帰国者との間で帰国に関連する契約を交わした事実は一切なく、「在日朝鮮人中北朝鮮帰還希望者の取扱いに関する閣議了解」2項で、「帰還希望者の帰還希望意思の確認と、右確認の結果、帰還の意思が真正なりと認められた者の北朝鮮への帰還の実現に必要な仲介とを赤十字国際委員会に依頼する」と定められている。

 また、カルカッタ協定第2条でも、「帰還を希望する者は、日本赤十字社の定める様式による帰還申請書を本人自身が直接日本赤十字に提出し、所要の手続きをとらなければならない。申請は自由意思に基づくものであり、かつ本協定に掲げる条件を満たすものでなければならない。帰還申請書を提出した本人から個別的事情によって帰還しないとの要請を受けた場合には、日本赤十字社がこれを処理する」と規定されている。

 裁判では、総聯と金氏との間で帰国契約、または参画契約が成立していたか否かについての判断は下されなかったものの、そうした契約がなかったことは明らかである。

強引な時効起算点

 裁判では、時効の起算点が争点となった。原告側の主張は、95年まで南の政府から旅券の発行を受けることができなかったため、日本への渡航ができず同年まで日本の裁判所に訴えを提起することが不可能であったというもの。また、金氏が日本の法制度についての知識を有しておらず、00年10月14日ソウルで原告代理人から説明を受けるまで、法的手段に訴えられることを知らなかったとしながら、時効の起算点を00年10月14日だと主張した。

 これに対し総聯側は、金氏が66年頃に著した「悪夢575日―第62次北送僑胞の脱出記」「私の証言―この目で見た北韓」と題する書籍を提示、その当時書籍のなかですでに同様の主張をしていることから、権利行使も事実上可能であったとしながら、訴えの提起が今日まで遅れたのは原告の責任であると指摘した。

 そもそも、金氏は朝鮮で肉体的・精神的苦痛を受けたと主張しているが、彼が自ら著した書籍の中でも述べているように、与えられた仕事はおろか、日常生活のルールすら守っていない。訴訟を起こした動機が何であったかを、考えてみるべきではなかろうか。

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