解放、統一へ120年の苦闘刻む

「在日朝鮮、韓国人史総合年表」発行した姜徹さんに聞く


 厚さ約4センチ、755ページに及ぶ「在日朝鮮韓国人史総合年表」をこのほど刊行した。前著「在日朝鮮人史年表」を大幅に改定・加筆したもので、約20年もの歳月と心血を注いだ大冊。

 「2年前の劇的な南北首脳会談の実現によって、朝鮮半島の和解と統一の機運が進んだ。在日同胞も互いの立場がどうであれ、長い間の反目を越えて、今こそ6.15共同宣言の自主の精神にそって1つの祖国をめざそうと歩みつつある。こうした好ましい情勢の到来もあって、前回の年表には書けなかった部分をたくさん補うことができて、私なりに納得のできる仕事ができたと考えている。長い間の苦悩が霧が晴れるように消え、胸のつかえがとれた思いである」

 本書の年表は1880年から始まる。祖国に日本の魔手が刻々と迫りつつある19世紀末。そして韓国併合の1910年。姜さんはここを「在日」の起点としてとらえる。祖国を奪われた民は、喪家の犬のように、故郷を追われ、果てしない流浪の旅へ。ある者は中国、ロシアへ。ある者は日本へ。現在の在日同胞社会はここから発生し、やがて、祖国の解放、分断を経て、形成されていくのである。その過程における日本帝国主義の残忍さ、悪辣さを年表は余すところなく実証してみせる。そして、日本の支配に力強く抵抗する在日同胞の民族性をかけた歴史的な闘いが光を放つように綴られていく。淡々とした記述の中に、圧倒的な史実の凄味と迫力がある。

 「今、在日の社会にも世代交代の波が押し寄せ、祖父母の苦労や歴史も知らず、安易に帰化を選択する若い人たちも少なくない。そんな時に、1世たちの苦闘と生きるために人間性のすべてをかけた彼らの誇らしい歴史を知ることによって、自分のよって立つべき足元を確認してほしいし、未来を生きるよすがにしてほしい」

 20世紀に刻まれた朝鮮民族の受難。それは姜さんにとっても例外ではない。姜さんは済州島出身の床柱職人の父の下で、29年、金沢市で生まれた。父は渡日後、大阪で技術を学び、山口、鳥取、石川、富山を転々とした後に東京へ。姜さんは4歳の頃、済州島で私立学校を経営する祖父の下に帰り、小学校を卒業する12歳までそこで学んだ。

 その後、また渡日して、大学で法律を専攻。「幼い時に、同胞が重労働の合間に賭博や花札遊びをして、日本の官憲に捕まり、死ぬほど殴られ、血を流すのを何度も目撃した。同胞たちを法律によって守ってやりたいと心に誓ったが、大学に入って見ると、朝鮮人には弁護士資格が閉ざされていることを知った」。

 卒業後は診療所の経営の傍ら、日本民主主義科学者協会に属して、哲学を学び、さらに在日同胞の人権問題についても研究を深めていった。この分野の著書や論文も数多い。現在は在日本朝鮮人人権協会顧問。

 先頃はソウルで開かれた国際高麗学会に招待され、出席。その足で60年ぶりの故郷・済州島を訪れた。

 「祖父の墓に額ずき、日本で20数年前に亡くなった父が墓参を果たせなかったことを心から詫び、慟哭した」。親子何代にも刻まれた肉親を引き裂かれた苦痛とその爪痕。祖国の分断と共に数え切れないほどの在日同胞が背負った血のにじむ歴史でもある。
 全身全霊で打ち込んだ年表作りは、姜さんの家族をはじめ、全ての在日の人々の恨を解く作業でもあった。(朴日粉記者)

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