旧日本軍の731部隊(細菌部隊)人体実験に朝鮮人
日本の公文書で初確認
第2次世界大戦中、中国東北部のハルビン郊外にあった旧日本軍の細菌部隊、731部隊がペストなどの細菌兵器開発のための人体実験・生体解剖のために、捕虜として捕らえた朝鮮人を使用していたことを裏付ける日本の公文書がこのほど日本で公開された。731部隊は約3000人を超える人を人体実験したといわれるが、その犠牲者の中に朝鮮人が存在していたことを文書で確認するのは初めて。
通常の捕虜とは別ルートで「特別移送」 文書は、関東軍憲兵隊作成の極秘資料で、1955年、撫順戦犯管理所(遼寧省撫順市)に収容されていた日本人戦犯の供述に基づき、長春市の関東軍憲兵隊司令部(現吉林省人民政府の庁舎)の地下から発掘され、これまで吉林省の公文書館にあたる档案館が保管してきた。日本軍は敗戦直後、文書を焼却していたが逃亡のため作業を急きょ中止し地下に埋めたという。 同档案館では昨年9月、「満州事変」70周年に機に文書の一部を整理、研究して初めて公開。8月にはその一部が愛知、岐阜、福井で公開された。 文書は、1939年5月から45年5月までの間、関東軍憲兵隊司令部や各地の分隊が作成した80点、計約630ページ。スパイとして拘束した捕虜をペストやコレラなどの細菌兵器研究の一環として生体実験・生体解剖するため、ハルビンの731部隊に通常の捕虜とは別ルートで「特別移送」した際の連絡文書や「捕虜処分一覧表」などで、「特別移送」された人名と顔写真、性別、年齢、本籍地、現住所、職業、抗日活動などが詳細に記載されている。 それによると「特別移送」を指示されたのは、中国(国民党および共産党員)、朝鮮、ロシアなどの老若男女277人。うち朝鮮人は李基洙(28歳)、韓成鎮(30歳、農民)、全聖瑞、高昌律(42歳、飲食業)の男性4人。 李氏の本籍地は朝鮮咸鏡北道新興郡東興面。1941年7月20日、間島省琿春県春化村擡馬溝で延吉憲兵分隊に逮捕された後、同分隊が延憲高第673号の「特別移送」を申し込み、関東憲兵隊に同年9月4日付の関憲高第822号命令で許可された。延吉憲兵分隊の延憲高第752号の報告によれば、同氏はハルピン憲兵本部に「特別移送」された。またほかの3氏は地元の憲兵隊に「特別移送」された。 また文書によると、憲兵隊がスパイ容疑で拘束した捕虜のうち3、4割を人体実験に使ったことも判明。人体実験の真相を解明する重要な手掛かりにもなりそうだ。 これまで黒竜江省が1999年に公表した類似の憲兵隊文書で52人の氏名が判明していたが、このうち33人は今回の文書でも再確認された。 731部隊は、石井四郎軍医中将を部隊長に1936年、中国東北部のハルビン郊外で発足。「丸太」と呼ばれる捕虜を使った人体実験で細菌兵器を開発し、ペスト菌などを感染させたノミを散布する細菌戦を中国浙江省などで実施、米国への細菌攻撃も計画していたといわれる。実験の犠牲者は3000人を超えるといわれ、最近になり、元部隊員の証言などから実態が明らかになりつつある。被害者の一部は日本政府に対し損害賠償請求訴訟を起こしている。(羅基哲記者) 事実認めぬ日本、真相の解明を 朝鮮人強制連行真相調査団の洪祥進・朝鮮人側事務局長の話 旧日本軍の細菌戦被害者に朝鮮人が含まれていることが初めて公文書で明らかになった。朝鮮半島のみならず旧日本軍の侵略地には例外なく朝鮮人の虐殺がともなったと考えられる。ところが日本政府は「証拠不十分」などを理由に細菌戦の事実すら認めていない。 日本政府が過去を真摯に反省するならば、まず率先して真相を明らかにすべきである。 |